About Thinking

ADX CEO / Wood Creator 安齋 好太郎の思考を、現在進行形で綴ります。森への想い、未来のプロジェクトへのヒント、ADXのまわりで起こった日常のエピソードなど幅広いテーマで更新中です。

  • ノルウェー旅(前編)「Snøhettaを訪ねて」

    人生で2回目の、ノルウェー旅。
    10年前に訪れた時はとにかく建築を見てまわったが、今回はもう少し俯瞰して、ノルウェーの文化やライフスタイルを中心に観察した。

    緯度からも分かる通り、ノルウェーの夏はものすごく短い。
    日本では酷暑の9月でも、ノルウェーでは夜になると10℃近くまで下がる。
    毎日続く曇天と低い湿度のせいで、さらに肌寒く感じる。

    首都オスロの街の様子はというと……、とても地味な街である。

    石造りの建築が続くねずみ色の街並みに、商業的な看板はほとんどなく、スーパーやコンビニに入っても店内音楽はなく静かだ。
    あるのはゆっくりと流れる時間だけで、なんだかもの足りない。

    では、何がもの足りないのか?
    少し考えた結果、日本の街に比べて圧倒的に刺激が足りないと分かった。

    僕は東京と福島の2拠点で生活していて、9:1で東京にいる。
    東京の最新の情報や文化は日々目まぐるしく、僕はその波の中でビジネスをしている。
    高級なレストランで会食をすることも、かっこいいブランドのアウトドアギアを買って満足感を得ることもある。この街には、その手の刺激がまったくないのだ。

    語弊がないように説明するとオスロは人口70万人。ノルウェーで一番大きい都市だ。
    ノルウェーは、世界有数の石油・天然ガスの生産国で(年産約14億バレル)、欧州諸国を中心に輸出したり、豊富な水資源を利用して(国内電力の93%は水力発電らしい)電力をつくったり、その電力を活用した加工産業(アルミニウム、シリコン、化学肥料)が盛んである。

    2022年の国民1人当たりのGDPは106.328USドルで、日本の3倍以上。
    僕の目には、東京という都市の方が圧倒的にスピード感や刺激があるように映るが、GDPがそれほど高いことには驚いた。
    (参考/GLOBAL NOTE https://www.globalnote.jp/post-1339.html

    さて、今回の旅の目的である、ノルウェーを代表するArchitectチーム、
    「Snøhetta(スノヘッタ)」とのミーティングの話をしよう。
    Snøhettaは、同時に手掛けるプロジェクト数が優に70を超えるという、グローバルで超売れっ子アーキテクトであり、僕の大好きなチームでもある。

    日本の設計事務所、特にアトリエ系と言われる小規模事務所の勤務時間はいまだに、早朝から最終電車まで。
    クライアントプレゼン前は完徹も辞さないという文化が当たり前にはびこっている。
    世間で騒がれるブラック企業がゴロゴロいる業界で、最近はそんな悪習を毛嫌いする若者も増えているそうだ。

    もちろん、建築を設計し施工することはそれだけ難しく責任が重い仕事だが、はたしてSnøhettaではどうなのか。異常とも言える日本のこの建築事務所のエンドレスワークは、万国共通なのだろうか?

    答えは、Snøhettaで働くスタッフの週の残業時間は10時間程度。
    しかも、このレベルの残業時間が(たった!)2週間続くと、日本でいう労働基準局からレッドカードが出るらしい。
    毎年夏には5週間ほどのサマーバケーションをとるのが当たり前だという。
    なぜだ。なぜ、こんなにも違うのか?

    Snøhettaの建築よりもSnøhettaの働き方に興味が湧いて、僕は4つの質問をした。

    つづく

  • 名前を付けた日

    10年前。僕たちADXがまだ、「ライフスタイル工房」という名前だったころ。
    当時の社員5人でノルウェーへ旅した。

    目的は、野生のトナカイ観測所「Reindeer Pavilion」の建築を見ること。
    オスロの街でレンタカーを借りて、向かった。
    道中にはたくさんの湖に、岩肌が剥き出しの山々。
    ノルウェーの雄大な自然が迎えてくれた。

    直方体のReindeer Pavilionの外観は、土地に馴染むコールテン鋼というサビ材と、4面のうち1面はトナカイを見るための大きなガラス窓。
    内部には、木舟を加工するためのNCルーターで加工した有機的でアイコニックなベンチが、松の角材をベースにつくられている。

    周囲の自然と共生する、美しい建築の姿だった。
    「こんな建築をつくりたい」と強く思った。

    建築を手がけたのは「Snøhetta(スノーヘッタ)」。
    ノルウェー国内やヨーロッパに留まらず、世界中でプロジェクトを推進している建築チームだ。

    別々に設計されることが多かった建築とランドスケープを一緒に考えること。
    そして、異なる専門領域・文化・背景を持つメンバーが集うチームであることが特徴だ。
    さらに調べていると、Snøhettaという名前は、メンバーの地元、ノルウェーある山の名前にちなんで付けられていることが分かった。

    自然に溶け込むような、普遍的な建築をつくりたい。その思いを名前で表現する。
    帰国してすぐ、会社の名前を、「ADX」に改めた。
    僕らが常にオフィスからその姿を仰ぎ、大切にしている故郷の山、「安達太良山(ADATARA-YAMA)」にちなんで。

    10年経って、今週のこと。
    僕はSnøhettaとミーティングをするべくノルウェーを再訪した。
    最初のプレゼンテーションで、ADXの名前の由来を話した。
    拙い英語だったが、Snøhettaのメンバーは、「NICE!」と笑顔で言ってくれた。

    会社名もプロダクトの名前も、名前は誰かの願いそのもの。
    悩んだり迷った時、自分たちが進むべき道を見失いそうな時、原点を思い出させてくれる。

    僕は今日、誕生したばかりの新しい命に、名前を付けた。
    彼が生きる未来が、美しい自然に彩られたものでありますように。

  • 飯炊き半年

    「飯炊き3年、握り8年」

    寿司職人の下積み期間を表す有名な表現だが、建築業界もおおよそ同じような仕組みになっている。

    一人前の設計者になるには、10年近くの歳月を覚悟するものだ。

    多くの人々は、人間が創造する美しいデザインや都市、文化をつくるダイナミックな要素に魅了されて建築の世界を志すのだろう。

    しかし、つくづく建築は学ぶことが膨大だ。

    デザイン、法律、構造、設備、インフラ、クライアントとのコミュニケーション、プロジェクト管理、チームマネジメント……。

    例えば、「構造」だけ見ても、木造・鉄骨造・コンクリート造と、それぞれ独自のルールや建築手法に枝分かれする。

    習得すべき知識の量を先に知っていたなら、僕もほかの道を選んでいたかもしれないと思うほどだ。

    ADXでは最近、「飯炊き半年」というプログラムをつくろうとしている。

    木造建築だけ、しかも自然に配慮した建築だけに特化して学ぶことで、新人スタッフに10年もの修行を強いるのではなく、半年で知識と技術を会得できるようにする社内研修制度だ。

    この先、入社するスタッフに、この制度が代々受け継がれることで、木造の未来を担う建築人材が増えていくことにも期待している。

    寿司職人の業界では、「飯炊き3年、握り8年は時代遅れ」と言われて久しいそうだ。

    建築の世界も、追いつかなければならない。

  • 旅をすること

    今月、ノルウェーに行く。

    名建築を見に、自然を体験しに、以前は何かと理由をつけて、年に数回、海外を訪れていた。
    最後に行ったのはコロナが始まる前なので、いつの間にか3年以上経っている。

    すっかり旅支度のやり方を忘れてしまい、さっきからクローゼットの奥に追いやられたトラベルボックスを取り出したり、パスポートの期限を確認したりして、準備を急いでいる。

    言葉も文化も景色も日本とまったく異なる環境で味わう独特の緊張感や刺激は、旅を好む者なら誰もが体験したことがある感覚だろう。
    僕にとっての旅は、日常とは違うスイッチを強制的に作動させる仕掛けでもある。
    スイッチは別名、「無敵スイッチ」ともいう。

    一度このスイッチが入ると、ろくに話せない言語でも(僕の英語は小学生レベルだ)、お構いなしに現地の人に話しかけ、知らない土地の奥深くに探検しに行ってしまう。

    無敵スイッチのおかげで、世界各地でつくられる風土に合わせた建築の工夫や、資材の調達方法、そして、自然と共生する考えなどを次から次に質問してはイメージを膨らませ、新しいアイデアをインプットして帰ってくることができる。

    国が違えば考え方も違う。
    それでも共通するのは、自分が生まれ、暮らす土地の美しさや厳しさをリスペクトする心だ。

    世界中どこへ行っても、みんなが「この自然を次世代へつなぎたい」と願っている。
    そんな願いを持つ一人として、久々にノルウェーの大地を踏むことを楽しみにしている。

  • 8月最後の音楽

    中高生の頃からblack musicが好きで、未だに夜中にふと思い立ち、永遠に曲をディグってしまう。
    20代の頃は仲間とDJイベントを立ち上げて、仕事の合間に集まっては、東北のクラブで朝までいい曲を流し続けた。

    その頃も今も、Curtis Mayfield の「Tripping Out」やDonny Hathawayの「What’s Going On」が大好きだ。

    音楽は僕にとって最強のバディでもある。

    仕事が思い通りに進まなくて落ち込んでいる時にかける曲、アイデアを捻り出したい時の曲、大事なプレゼンの前に聴く曲と、シーン合わせたお決まりのプレイリストがある。
    それはまるで、現実世界と頭の中をチューニングするための儀式のようでもある。

    音楽の起源は諸説あるらしいが、病いや老い、天災、労働など、日々の暮らしの苦しみを和らげ、神仏に祈り、さまざまな思いを伝え、交わるための行為として始まったとも言われている。

    要するに、自然の威力や不可逆な時間など、人智を超えたものごととの折り合いをつけるために生まれたのだろう。

    先日、友人が営む酒蔵にお邪魔する機会があった。そこで教えてもらったのだが、酒造りにはその蔵独自の酒唄があり、麹を混ぜるときに必ず蔵人たちで歌うそうだ。
    酒唄の何小節まで歌えば100回混ぜて、全部歌い切ったら200回混ぜるという調子で、ある意味、酒造りの重要なレシピのひとつとなっている。
    神のなす術とされていた、酒造りの歴史を感じさせるエピソードだった。

    建築の世界でも、地鎮祭や上棟祭など神に祈りを捧げる儀式には、祝詞(のりと)と呼ばれる独特の音調とリズムの声明がある。
    ともあれ、音楽は時代を超えて人の生活に寄り添い続けていて、そんな音楽が僕は好きだ。

    晴れた今日は、8月最後の週末。
    さて、どんな曲をかけようか。

  • アイデアは自然の中に

    「これだ!」というアイデアは、そう生まれてこない。

    アイデアとは、課題を解決する手段だと僕は思う。
    1つの課題を解決する手段は無限に存在するが、どの手段で解決すると筋が良いかをふるいにかけて、数百ある手段を1つに絞っていくプロセスが必要だ。

    それはある種、筋トレみたいな感覚で、日々続けていないと衰えていく。
    筋トレと違うのは、負荷をかければかけるほど成果が出るわけではないところ。
    いざ本気でアイデアを出したい時には、できるだけ自分の思考を自由に羽ばたかせることが重要だ。

    僕の思考が最も自由になるのは、やはり森の中。
    つい最近も、白馬の森で幾重にも重なるシダの葉っぱを見て、フラクタル構造のヒントをもらった。
    現在開発中の建築プロダクトで、全体の形状を保ちながらサイズ展開する時に有効なアイデアだ。

    別の日、森をぐるぐると歩き回っている時に、傘が付いたどんぐりの実を手にとった。
    緩やかにカーブを描く傘と実が固定されている様は、キャビンの外壁工事に活かせそうだ。

    ADX社内でよく使うフレーズに、「答えは自然の中に」というものがある。
    ADXのメンバーは好んで現場に足を運び、その土地の木に触れ、山を登り、地球と対話しようする。

    会議室やオフィスで行う合理的な判断より、自然の中で得たインスピレーションこそが、 私たちの行き先を決めるアイデアにつながるのだ。

  • 山小屋をつくる

    「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という目的で、8月のカレンダーに「山の日」という祝日が加わったのは最近のこと。
    現在、日本には1000万人近くの登山人口がいるらしい。

    山に登る理由は、「ピークハント」「道中の景観を楽しむ」「トレーニング」など人それぞれだが、僕にとっては、「山小屋」の存在が大きい。

    日本の山小屋のほとんどは、山頂を目指す登山道の途中にある。
    登山客は、1日の山行で重くなった足を引きずって、吸い込まれるように山小屋に入る。
    そして、つかの間の休息を得て、翌日の登山の続きに向けて英気を養う。

    山小屋は、建築という視点でとても興味深い。
    立地や構造はもちろん、細かな設備まで、その山特有の風や雲の流れ、雪の積もり方など、四季を通じて過酷な自然環境に耐えられるように考え抜かれている。

    それでいて、立ち寄る人の心を癒すように、見晴らしのいい場所に食堂やベンチがあったりする。
    僕は大抵、山小屋に着くとそういうベンチを見つけて腰掛けては、その山小屋をつくった人に想いを馳せる。

    福島県の安達太良山(あだたらやま)に、「くろがね小屋」という名の山小屋がある。
    このくろがね小屋の建設に、祖父が大工として携わったという縁があり、子供の頃からこの山小屋に特別な感情を抱いていた。
    現在は休館しているが、改修を施して、2025年ごろに再オープンするそうだ。

    自分の理想の山小屋はどんな建築になるだろう――。
    そんなことをいつも考えていた。

    例えば、建物は完全オフグリット。
    汗だくの身体を流すシャワーも、水の循環システムがあれば遠慮なく使える。
    断熱や気圧も繊細にコントロールして、外がどんなに悪天候でも、安心して眠れる個室がある。

    レストランで出す名物料理は、万人の身体を温めてくれるポトフがいい。
    夜更けに明日の天気を語らうときにはウイスキーも相棒に。

    そして何より、何日も泊まれるようにしたい。
    大好きな人たちや子供たちと、ゆっくり同じ景色を見て過ごしたいのだ。

    さて、そんな山小屋をどこにつくろうか。
    これまで滞在してきた山小屋でも祖父がつくったくろがね小屋でもない、
    ADXの山小屋はどんな姿をしているだろう。
    できたら日本だけではなくて、海外にも。

    準備は着々と進んでいる。

  • 暑いぜ、夏!

    日本全国で猛暑が続いている。故郷の福島では、40℃を超えた地域もあったという。 体に堪える暑さにげんなりすることもあるが、僕は夏が好きだ。
    今年も昆虫採集の時期がやってきた。

    森のなかに「しかけ」をつくって一晩待つと、 クワガタやカミキリ虫など、山の住民が集まってくる。

    「しかけ」はいたって簡単。 バナナの皮と蜂蜜を合わせて数日発酵させたものを、くぬぎの木に塗るだけ。 翌日、早起きしてその場所へ向かう。

    虫たちの足の関節のつながりや羽の色、目の輝き、艶々のボディ。 圧倒的な美しさと不思議さが、少年時代から変わらず、僕の気持ちを奪い続けている。しばらく観察してから、標本にすることもある。

    最近、子供のころと比べて、昆虫の生息地が変わってきたと感じる。 つい先日、昔は九州で多く見られた蝶を、八ヶ岳の標高1100mの森で採取した。 九州では近年、インドや東南アジア、ニューギニアなどにいた熱帯性の蛾が、 大量発生しているらしい。

    ここ数年の夏の気温上昇によって、虫たちは民族大移動しているのかもしれない。 生き延びるために、生活圏を変えているのだ。

    さて、この暑さに、人間はどこまで耐えられるだろうか。
    東京は今日で16日連続の猛暑日だというが、 3年後には「30日連続猛暑日」というニュースが流れているかもしれない。

    気候変動への対策は、全地球人が取り組むべき目下の課題である。
    僕は今、マイナス30℃〜50℃まで、標高3000mにも耐えられる、 新しいキャビンを開発中だ。

  • コーラの炭酸を抜けなくする方法

    子供のころ、誰からも頼まれていないのに勝手に商品提案をしていた。
    自分なりに、身の回りの課題を解決しようと奮闘していた(今もそうだが・・・)。

    小学校の理科の先生が言った、
    「ワイパーをなくすアイデアと、風邪薬を開発したらノーベル賞がもらえるぞ」。
    その言葉がずっと忘れられないのだ。

    小学1年の夏、コカ・コーラ社に手紙を書いた。

    飲みかけのコーラを置いておくと炭酸が抜けてしまって嫌だった。
    しかし、開封前は炭酸が抜けないのはなぜか?
    その時、飲みかけと飲む前の空気の量が違うことに気付いて、空気を減らせば炭酸が抜けなくなるんじゃないかと考えた。

    ペットボトルの側面を谷折、山折し、飲んだ分、縮ませることで、飲みかけでも炭酸が抜けないペットボトルを発明した。

    発明が成功か失敗か分からぬまま、絵日記風の手紙をコカ・コーラ社に送ったら、その後、お礼の手紙とジュースが届いた。

    次に書いたのは、自動車会社宛ての手紙だった。
    ある日、親父とドライブしている時、前の車が急に停まって、衝突しそうになったときのことを鮮明に覚えている。

    気を取り直してドライブは続いたが、前の車のテールランプが赤く光るたびに、身体がこわばった。

    なぜ、普通のブレーキでも急ブレーキでも、テールランプは同じ光りかたをするんだろう?
    急ブレーキのときにはテールランプがパチパチと光れば、それが急ブレーキと分かって安全かもしれない。
    そんな発明を書いて、車メーカーに送ったのだ。

    いまだに、ふと、車のワイパーをなくす方法について考えてしまう。
    僕の頭の中には、無限のアイデアが溢れている。

  • ある日、家がつくれなくなった

    「自宅を設計してくれませんか」
    有難いことに、ADXの問い合わせフォームには頻繁にこんなメッセージを頂く。
    人生で一番大きな買い物ともいわれる住宅を僕らに任せてくださる心意気に、いつも心から感謝するのだが、申し訳ないなと思いながら、ほとんどすべての依頼をお断りしている。

    なぜなら僕は、数年前から、「家がつくれない病」に悩まされているからだ。

    親父の後を継いで20年以上。
    人生の大部分を、家づくりに費やしてきた。
    地元東北を中心に、これまで設計・施工した住宅は200件ほど。
    提案プランも含めると、軽く1000以上のプランをつくってきた。

    そのほとんどが、お施主さんと家族にとって「一生に一度の家づくり」で、一家の夢を詰め込んだマイホームだ。

    僕らは毎回、デザイン、つくり方、ランドスケープまでこだわりにこだわって、その想いに応えてきたと自負している。
    完成の度に開催していたオープンハウス(見学会)には、100名以上に来場いただくこともあった。

    でも、その間も、「家がつくれない病」はじわじわと進行していた。

    工務店の仕事は、新築を建てることが大部分のように思われているが、実は、建てた後のメンテナンスの方が圧倒的に多い。
    定期点検のほか、不具合が起きればできるだけ早く駆けつけて、原因を見つけて修繕する。

    木造建築を扱うADXの仕事には、木の反りや歪みといった経年変化が付きもので、お施主さんとは、長い長いお付き合いをしている。

    僕は工務店の3代目なので、自分がつくった建築だけではなく、祖父や父が手掛けた住宅のメンテナンスにも行く。

    すると、子供たちが巣立って使われなくなった子供部屋は、大抵がらんとして、荷物置きになっている。
    それならまだいい方で、家自体に誰も寄りつかなくなり、いつの間にか近所で「ゴミ屋敷」と揶揄される空き家になっていることもある。

    あれだけエネルギーを掛けて、夢や希望を形にしたマイホームも、たった30〜40年ほどでゴミ同然になる。ものすごく悲しいが、それが現実だ。
    さらに辛いのは、建材に使う木々は樹齢60年以上のものがほとんど。60年以上生きてきた貴重な木が、人間の都合で短命に終わる……。胸が痛む。

    そんなことを考え、日々悶々とし、ついに、「家がつくれない病」になった。

    でもきっと、これは不治の病ではない。
    問題は、建築のほうにある。

    人生の時々に合わせた広さや間取りに、柔軟に寄り添えないか。
    建築がぐにゃぐにゃと形を変え、暮らしに追随できたらどんなにいいだろう。
    そして、家としての役目を終えるころには、そこで使われた材料に次の役割をつくり出せないだろうか。

    僕は今、フレキシブルに形を変える建築、そして、そこに使っている木が2次流通して、繰り返し使える仕組みづくりに挑戦している。

    まだまだ先は長そうだが、また、家づくりを楽しめる日が来ることを願っている。

  • 人生の研究テーマ

    定期的に開催している「たわいもない話をする会」で、 僕の半分くらいの歳の彼に出会った。

    「僕、シャイなんです……」。

    そんな言葉とは裏腹に、彼のマシンガントークが炸裂した。
    MITにいたときの研究の話や今の活動の話など、 ジャンルは幅広く一貫性がないようにも思えたが、 彼は学問というジャンルで活動しているのではなかった。 自分がワクワクする領域で、まるでゲームを攻略するように、 楽しみながらさまざまな課題を解決しているのだ。

    学生のころの僕は、日々、誰にも頼まれていないことを研究しては興奮していた。 しかし、最近、仕事以外の研究をあまりしなくなっていることに気付かされた。

    彼と話をして僕も、RPGのように楽しむことができる、 仕事以外の、「人生の研究テーマ」を探そうと思った。

  • 東北弁と奄美大島

    変わったのは僕のほうかもしれない。

    数年ぶりに、母が東京にやって来た。
    都会の景色に圧倒されながら、気持ちも入ったのか深く頷いてこう言った。
    「あんた、えらいどこでやっでんだ〜」

    そんな母の一言を聞いて、うれしい気持ちとともに孤独感もあった。

    学生のころによく真似されていた東北弁は、いつの間にか使わなくなった。
    圧倒的な都市のエネルギーの渦の中で、ずっと話してきた方言があっと言う間に消えてしまったのだ。
    僕は都会の色に染まったのか? 染まりたかったのか?

    母と同じ場所にいなくなっていたことに改めて気付かされて、無性に寂しさを感じたのだ。

    きっと、同じことが自然界でも起きている。

    1979年に、北海道でペットとして飼われていた10頭ほどのアライグマが脱走した。
    北アメリカ原産のアライグマは、経度が近い北海道の酪農地帯で大繁殖し、
    アオサギの営巣地の消滅など、森の生態系に強烈なインパクトを与えた。
    数は年々増えて、道内全域で目撃されるようになった今では駆除が必要なほどだという。

    地域には地域の言葉があり、地域の生態系がある。
    でもそれは、ものすごく繊細なバランスで成り立っている営みで、ちょっとしたことがきっかけで、簡単に消えてなくなってしまう。

    奄美大島で新しい建築プロジェクトが始まった。
    奄美大島はその独自の生態系が評価され世界自然遺産にも登録されている。
    そんな場所に建築をつくることの責任の大きさは、計りしれない。

    「がんばっぺ」

    この豊かな森と海を前に、覚悟を新たにするのだった。

  • 本のような一生

    日々生活していると、色々な出来事がある。
    楽しいこともつらいことも、人生には付きものだ。
    でも、つらいことはしんどいし、できれば避けたいと思う。
    避けられないことも、当然ある。

    だから僕は、小さいころから、こう考えるようにしている。
    もし、自分の伝記が出版されたらどんな内容になるだろう?

    小さいころ図書館に行き、いろんな人たちの伝記を読んだ。
    そこには、まるで映画のようなストーリーが広がっていた。
    楽しいこともつらいこともある、波乱万丈の物語が僕を夢中にさせた。

    僕の伝記はどれだけおもしろく、そして厚い本になるだろうか?
    楽しいこともつらいことも、どちらもその分、ページを増やしてくれる。
    おもしろくて分厚い本みたいな人生を歩みたい。

  • 4700年

    人の寿命は80年程度。
    だから、ほとんどの人はそれくらいの時間軸でものごとを考える。

    この80年という時間は、ほかの生物と比べて長いこともあるし、もちろん短いこともある。

    ホッキョククジラやメスのシャチは、人と同程度。
    カメやチョウザメは、種類によっては100年以上生きることがある。
    おいしいウニも、環境によっては200年近く生きるそうだ。

    アメリカのカリフォルニア州にあるインヨー国立森林公園内の、イガゴヨウマツ(Pinus longaeva、ブリスルコーンパイン)は桁違い。
    世界最長寿の木と言われ、樹齢4700年以上だとか。

    寿命の長さが異なるということは、それぞれ、異なる時間の流れを持っている(はずだ)。
    ときには、海や陸の生物が持つ時間の尺度やリズムに身を委ね、4700年という単位でものごとを捉えてみる。

    きっと、もっと深い観察と理解が可能になる。

  • 薄型ペットボトル

    水筒派の僕はときどき、朝、水を入れた水筒を机の飾りにしてそのまま出掛けてしまう。
    今、目の前にあるキンキンに冷やされたペットボトルは、さっき冷蔵庫から出したばかり。

    梅雨のもわっとした空気に包まれた事務所の中で、液体にも個体にも変わる水が入ったペットボトルが、自分のポジションを調整している。

    地上では凛とした佇まいのペットボトルも、山頂では、釣り上げられたばかりのフグのような姿に変わる。
    空気と水の間で、収縮したり膨張したり、葛藤している。

    最近の環境配慮デザインの薄型ペットボトルは、使い終わった後は簡単につぶせて1/6まで小さくなる。
    そして、リサイクルされてまた新しい姿に生まれ変わる。
    開発者は何年かけて、このペットボトルを完成させたのだろうか。

    水筒を忘れてたまたま目の前にあるペットボトルが、僕を夢中にさせてくれる。

  • 共生する家、循環する森

    スピードが優先される現代に、自然の時間軸に任せてみるのもよいのではないだろうか。
    本来、家づくりは自然との対話の中でゆっくりと進められてきたはずだ。
    そう考えたことから、2017年、〈One year project〉は始まった。

    木の伐倒から製材、加工、組立までに1 年をかける。
    樹齢80年、直径40㎝前後の木120本を使い、木の持ち味や表情を生かす。
    2018年、磐梯山のふもとに、2棟の間に橋を架けた別荘が完成した。

    物件の引き渡しが完成ではなく、使った分の木を植樹し、敷地に同じ種類の木を植え、森を循環させる。

    6年前に完成したこの建築を、2023年春、ADXのスタッフみんなで訪れた。

    当時植えた木々は成長し、基礎をコンクリートで固めず、そのまま残した土の部分には、建物に寄り添うように植物が戻っていた。

    自然と建築は、共生する。
    あの時信じた景色がそこにはあった。

  • ハチの社会改革

    ハチの社会では女王蜂が中心となり、雄蜂や働き蜂が組織的に働きます。
    階級制度を持つ各々が役割を果たすことで、社会を安定させています。
    もし、環境の変化によって食料や巣が脅かされた場合、ハチの社会は素早く変化し、新たな対策を見出すことで生き残るのです。

    人間の社会も、ハチの社会に学ぶべきことが多くあります。
    社会は、時代に応じて構造や制度を変えなければなりません。
    社会の変革は、個人や組織、さらには文化や価値観にも影響を与えます。
    個人も多くを捨て、新たな形に変化する必要があります。

    自己変革や学びの姿勢を持ちながら、新たなアイデアや技術を柔軟に取り入れること。
    社会の変革に対する意識を高め、持続可能な未来を共に築いていくのです。
    私たち自身も、社会の変革に参加することが求められます。

    未知の地平に進む勇気を持ち、社会の変革の潮流に身を委ねましょう。
    変化の中にこそ、社会の持続と発展の鍵がある。
    新たな探求をしながら、豊かで持続可能な社会を築く旅に出かけましょう。

  • 森とAI

    時間があれば山に出かけ、森の観察を楽しんでいます。
    知人を森に案内し、食べられる木や漢方になる植物、恐ろしい毒がある植物について話し、森の魅力を伝えることもあります。

    森に入るようになったきっかけはいくつかありますが、特に父と山菜取りに行ったときの記憶が、鮮明に残っています。
    一見同じような緑の葉っぱたちが父のスキャニング能力で瞬時に種別され、残った葉っぱたちが次々と、竹細工のカゴに投入されていきます。

    夜、コゴミやコシアブラや豆ダンゴ(福島のトリュフ)などが食卓に並び、おいしく食べることができました。

    最近では、テクノロジーも森に誘導してくれます。
    例えば、自分の健康状態を確認できるウェアラブルデバイス。
    そのデータを元に、適切な森をおすすめしてくれるシステムがあります。
    森に生息する動植物のデータをAIで解析することで、自分の健康状態に適した森をマッチングしてくれるのです。

    さらに、その森に生息する草花を採って、自分のための生薬をつくり出すこともできます。

    さまざまな種類の草花を集めて調合するという、「Pokémon GO」の森版のような楽しみ方が生まれるかもしれません。

    森とAIがコミュニケーションすることで、これまでと異なる森の景色、森の体験を得られるようになります。

  • bio(生物)からの依頼

    設計の仕事は大抵、クライアントから頼まれる。
    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。

    「bio house」(生物多様性の家)は、建物が生態系を支え、人々が自然と調和した生活を送ることができる場所だ。

    設計は、その土地の生態系の調査から始まる。
    外壁や屋上に緑化を施し、さまざまな植物が生育できる環境を提供する。
    そこに鳥や昆虫が集まり、生態系が息づく。

    同時に、周辺の土地の生物多様性の保護と回復を目指す。
    池や湿地をつくり水辺の生態系を再生し、緑地や公園を整備することで、生物の移動経路や生活の場を確保する。

    環境配慮も忘れず、持続可能なエネルギーを利用し、無害な建築材料を選択する。
    環境への影響を最小限に抑えながら、生物多様性の促進をデザインする。
    僕たちの仕事は、建物をつくることではなく、bio houseをつくって自然との共存を実現することだ。

    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。
    もちろん本当に頼まれるわけではないが、啓示のように、自然界の声が聞こえてくる。

  • 建築家と冒険家

    小さい頃から夢見ていたのは冒険家。
    見たことのない風景。未知の領域へ足を踏み入れる興奮。
    本やテレビを伝って立ち上がるワクワク感がたまらなかった。

    今は建築家として、木や森といかにして共存していけるかに挑戦している。
    その過程でまだ見ぬ素材や構造を発見することも多く、そんな時、小さい頃と同じようにワクワクする。

    新しい世界を創り出す建築家としての毎日は、私にとって冒険なのかもしれない。

    新たな目標に向かって進む日々が、私を冒険家にしてくれる。

  • 海が塩辛いのはなぜ?

    幼いころ、内陸に住む僕にとって海は特別な存在でした。
    父と海水浴に出かけるたび、水平線の向こうに、壮大な世界の広がりを感じていました。

    「水はどこからやって来るんだろう?」
    「塩辛いのはなぜ?」
    「魚たちはどうやって息をしているの?」
    「波は何を伝えているの?」

    帰りの車で、父にたくさんの質問を投げかけました。
    父は困ったような表情を浮かべながら、本屋に連れて行ってくれました。

    青い海の風景は僕に問いを投げかけ、大きな海の鼓動は今も、僕の探究心に火をつけるのです。

  • 木を使う2つの理由

    僕が木を使う理由は2つある。
    1つ目は、実家が工務店を営んでいたこともあり、子供のころから木は遊び道具で、慣れ親しんだ空気のような存在だったから。

    2つ目は、建築でストラクチャーになる材料が「鉄」「コンクリート」「木」で、この中で唯一育てることができるのが木だから。

    時間はかかるが、60年も育てれば立派な木になって建築材料として使える。
    コンスタントに育てれば共存できる唯一の素材だと感じた瞬間から、僕は木を選ぶようになった。

  • 一流シェフ

    一流シェフの気持ちで、年に数回料理する。

    料理が出てくる映画を見たあとや、たまたま行ったスーパーでいい食材を見つけた時。
    友人が遊びに来る時や、友人が料理つくれる自慢をした時。
    時々突然、料理魂が目を覚ます。

    味は一流ではないかもしれないが、
    素材選びや出来上がるまでの時間、
    お腹を満たすという意味では超一流かもしれない。
    いつも、得体の知れない料理が誕生する。

    もし興味があれば、メッセンジャーなどで声をかけてください。
    ーー得体の知れない料理家より。

  • 森のカルテ

    「森のカルテ」というプロジェクトでは、森の健康状態を把握するために木々の種類やサイズなどのデータを収集し、土壌中の環境DNAを解析することで、森の状態を立体的に可視化している。

    この取り組みの目的は、森林保全への関心を高め、森林のポテンシャルや素晴らしさを伝えることにある。

    森林が持つ豊かな生命の息吹に触れ、心に刻むことで、共存するための道を模索し、新たな未来に歩んでいくことができる。

    これからも僕たちは、森林資源の保護、管理に全力を傾け、持続可能な未来を築くために、着実に歩みを進めていきます。

  • 小心者

    「信じられない」と言われるかもしれないけど、僕は最近まで、1人で飲食店に行けなかった。

    そんな僕が1人で行ける店がある。
    その店はカウンターづくりである。
    カウンターになんとなく安心するのか、店主と話せるからか、緊張せずに食べられる。

    「なんで?」と聞かれれば、多分小心者だからだと答える。
    今日もバスを降りる時、ボタンを押せなかったほどだ。

  • アリの行進

    週末の高速道路渋滞には長年うんざりさせられている人も多いだろう。
    長時間狭い車中に閉じ込められ、じわりじわりとしか進まない状況に、苛立ちや不快感を覚えることもある。そして、この渋滞の先頭は誰かと問われたら答えられない。

    しかし、高速道路の車と同じように列になるアリたちの行列には「渋滞」が発生することがない。観察するのが趣味な僕にとって、アリたちの行進も大好物である。 不思議なことに、アリたちは行進をしているにもかかわらず、渋滞をしていない。彼らは一定のスピードで前進し、行儀よく目的地に移動している。

    このアリたちの行進は、人類にとってのヒントになるかもしれないな。

  • 料理人みたいな建築家

    「Farm to table」のように、農場から食卓まで、顔が見える建築をつくりたい。
    自然の素材を使い、今、旬な最高のアイデアでレシピをつくる。

    森には、建築に必要なたくさんの素材やヒントがある。
    木は柱や家具に、草木は塗料に、大地は水や空気を綺麗にしてくれる装置になる。

    レシピをつくるだけでなく、自分たちで料理もする。
    旬なアイデアは、レシピに落とすだけでは実現しないから。

    「Forest to building」。森から建物へ。
    料理みたいな建築。料理人みたいな建築家。

  • 自然と人が共存する未来のために、僕は木を選んだ

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。足跡は消せない、消えない……。
    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築と人

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    共存する素材

    僕が設計する建築は、気づくと木が存在する。木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年も育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に必要な材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちっと育てれば、共存できる存在だと思ったからこそ、僕は木を選んだ。

    自由な建築

    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう? 家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい……。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    共存の世界

    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。
    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    さあ、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。

  • 景色

    建築が主役ではなく、そこに訪れるきっかけをデザインすること。

    まったく同じ建築でも、窓からの景色が変われば高揚感を抱ける。

    景色は、日々変化し、時を知らせてくれる。
    建築という、景色を写し出す装置をつくり出している。

  • 登山

    山を登るのが好きだ。きっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも「そろそろ登っておいで」と、誘ってくれていた。

    自分の足で登り、たどり着いた景色を目に焼き付け、心と対峙できる時別な場所。
    疲労感や達成感が混じって、より美しく見える。

    世の中には経験しないと分からないことが沢山あるが、登山もその一つだと思う。

  • 意味と価値

    フェラーリやランボルギーニは2人しか乗れないし、荷物もあまり載せられず、燃費も悪い。移動手段としてはあまり役に立たない。

    でも、高額で売っているし、高額で買う人がいる。

    「機能」ではなく、ブランドや所有する喜びといった「意味」が価値になっている。
    「意味」はデザインやテクノロジーと違って、コピーされないから強い。

  • デザインすること

    美しいものに人は感動するし人は集まる。

    内なる思想も外への言葉も、表現を伝えるには必要だが、それだけではつまらない。

    だから、美しいものをデザインする。

  • 小さい地球のような建築

    小さい頃に憧れた「ISS(国際宇宙ステーション)」は、今もとても好きな建築。

    物資はもちろん、地球から運び出したものだけど、水も電気も空気もない宇宙で、自給自足している。

    建築はもともと、人を、寒さや外敵から守ってくれる装置だった。
    安全から始まったその役割は快適や、単なる金儲けにも変わってきている。

    未知なる場所に、安全に滞在できる生命維持装置。
    自給自足を可能にする小さい地球のようなISSは、人類が作り出した最先端のテクノロジー建築だと思う。

  • 「知識」と「知恵」

    昔から勉強があまり得意ではなく、知識を増やすよりも、知恵を絞るほうが好きだ。
    もちろん知識も必要だが、使えない知識ならいらない。

    何かをつくり出すには、知識を引き出す知恵が必要なのだ。

  • 100年先の未来

    未来について話す時、どのくらい先の、未来の話をする?

    明日? 1週間? 半年先? 1年先?

    僕は100年先の話をします。
    それは木がちょうどいい大きさに育つ時間だから。

    目下の課題は「100年先の森をつくること」。
    森は100年かけないとつくれない。
    自分がいない未来のことも、ちゃんと考えておく。

  • 紫陽花

    紫陽花は、土が酸性かアルカリ性かで花の色が決まるという。
    綺麗な紫陽花だと思って植え付けても、そうでもなかったり、反対に、植えてみたら思いがけず綺麗だったということもある。

    僕は、その「土」のような人になりたい。
    僕は、周りをどんな色にできるだろうか?

  • 山の景色

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。
    そんな時、「このまましばらくここに留まろう」とか「時間が止まってほしい」とさえ思う。

    しかし、雲は流れ、日はかげり、冷たい風も吹く。
    絵画のように完璧だった景色も、気がつけば移ろっている。

    山の景色は感動を与えてくれながら、自然の厳しさを教えてくれる。
    山はそんなに甘えさせてくれない。

    それが、僕がいつまでも登山に夢中になる理由だと思う。

  • 主役

    建築をつくる時に考えることは建築が主役にならないこと。
    これはデザインだけの話ではない。材料もそうだ。

    自然の中に建築をつくる。
    できるだけその生態系に存在する材料で。
    そして、使った量の材料を育てる。

    吹いている風や流れる雨水も大切な資源で、建築はそれを分断してはいけない。
    建築を主役にするから分断してしまう。

    次世代に資源を残す。
    資源として残すか、ゴミとして残すか。

    未来に何を残すか?

  • ルート

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、どの山にも、そのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものを選ぶ。
    天気予報を見て、風と雨の行方を知る。そして、ルートを自分で決める。

    どの季節にどんな景色を見ながら、誰と登るか。
    気分に合わせて、自由に特別な時間をデザインできる。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、平和な都市生活の中でぼんやりしている「本能」が呼び覚まされる。

  • 無駄

    合理的に考えれば建築は四角いほうが効率はいいが、空間に無駄をつくる。

    SANU CABINの室内の局面壁は、幅はぎ材に裏表両面からスリットを入れ捻ることによって、美しい三次曲面をつくり出している。

    原理は襖や障子のようにケンドン式で簡単だが、捻ることで生まれる合力や、滑らかな佇まい、開口を設けることによって居場所ができる。

    無駄に意味を持たせることもできるし、無駄にこそ美しさが存在する。

  • 山小屋

    山に安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本の山小屋の歴史は、霊山に登って修行する行人(あんじゃ)の「室」や「坊」が始まりと言われている(諸説ある)。

    現存する日本最古の山小屋は、登拝者(とはいしゃ)向けの宿泊施設であった富山県立山の室堂小屋(むろどうこや)だ。

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋をつくりたい。
    自然と共生できるデザインやつくり方、山の恵みを循環させるエネルギー計画。
    そして、そこに人々が楽しく滞在できるファンクション。

    都市の建築とはまったく違う知識や技術が必要で、だからこそADXの仲間と成し遂げたい、大きな夢だ。

  • 寿命

    建築の寿命は長いが、我々が携わる時間は、建築の寿命に比べてとても短い。

    時間が経つにつれて、つくる時のエネルギーと比べて、建築にかけるエネルギーは大幅に、急激に減っていく。

    結果として、建築は短命に終わることにもなる。
    建築とは未来をつくるものであるにもかかわらず。そうなっている。

  • カブトムシ

    大きな体で大地をブンブン飛び回ることも素晴らしいが、自然の中に住んでいるのにいつもピカピカのボディ。
    あの性質をクルマや建築に使えたらいつもピカピカでいいだろうな。

    バイオフィリックデザイン。

    森を歩くと色々な生き物に出会う。
    いつも僕を驚かせてくれる。

  • 趣味

    趣味はなんですか?
    と聞かれたら真っ先に登山と答えてしまう。

    でも、登山は、僕にとって趣味とは少し違う位置付けにある。
    修行? 試練? それとも?

    日々刺激を受けたものごとを受けて、一歩一歩山を登り、自分の中に落とし込んでいく。
    思考を整理する場所や方法みたいなものでもある。

    今月もたくさんの刺激を頂いたので、ちょっと山まで行こうと思う。

  • 挨拶

    山頂に向かうにつれて移り変わる景色を楽しんでいると、山登り中の見知らぬ人とすれ違いざまに挨拶をする。挨拶している。

    都会にいると、しないのに、山にいると自然としてしまうのはなぜだろう?

    そこには、都市にあるような、目まぐるしくて膨大な情報は落ちてないけれど、縄張りもなければ、渋滞もない(渋滞する山には登りません)。

    みんなの目的がひとつだから思考もシンプル。
    山にはちょうどいい距離感がある。

    それも山のいいところだ。

  • 資源をつなぐ

    建築物は一般的に数十年の耐久性を持つが、その寿命を全うできずに終わることの方が多いだろう。建築が短命に終わる理由は、デザインのトレンドであったり、ビジネスの環境変化による用途の盛衰、家族が巣立ったりと様々だ。建築とは時代を象徴する物差しであるとも言える。我々建築に携わる者はそんなことに目をつむって、ひとつひとつの要件や具体的な欲求に応じて、相当なエネルギーと知恵をかけて、最も適した建築を生み出す。

    SANU CABINは、同じものを作り続ける建築である。もちろん1棟つくる毎に発見や学びがあり、設計・施工の細やかなアップデートは付きものだが、利用者にとって見える範囲では基本的に「同じ形のキャビン」だ。いつも同じ場所にある電気のスイッチや食器は、通い慣れた第2の我が家である安心感と居心地の良さをもたらす。そして、建築が主役にならないからこそ、窓の先の景色の変化に敏感になる。キャビンの特徴でもある局面壁は、幅はぎ材を両面からスリットを入れ“ひねる”ことによって美しい三次局面を作り出した。その滑らかな曲線に導かれて、窓の外の自然へ目を向ける時間を意図的に増やしている。

     

     

    SANU CABINは現在長野県・白樺湖と山梨県・八ヶ岳に完成しているが、これから日本中の自然豊かな場所に展開していく計画である。このキャビンが各地の美しい景色を写し出す装置として機能していくことを期待している。

    この“同じものつくる”という発想、そして、“建築が主役にならないこと”は現代建築において必要な考えなのかもしれないと考えている。調達、設計・施工、運用、そして移設や解体という建築のライフサイクル全体を通して、自然の時間軸にこちら側が合わせる。そして必ず訪れる建築物の終焉を内包して計画する。今日出来上がった建築をどのような形で未来の世代に渡すのか。ゴミとして残すのか、資源として残すのか。

     

    Photo by Timothée Lambrecq

  •  

    僕は山を登るのが好きだ。

    好きになったきっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも彼から誘ってくれていた。そろそろ登っておいで、と。

     

     

    世の中には経験しないと分からないことは沢山あるが、登山の魅力もその一つだと思う。

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、ほとんどすべての山にはそのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。季節や景色はもちろん、誰と登るか、どんな気分かに合わせてコースを選べば、何とも自由で特別な時間をデザインできる。

     

    天気予報を見て、風と雨の行方を知ること。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものたち、そして、自分で決めるルート。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、普段平和な都市生活の中でぼんやりしている“本能“が呼び起こされる。

     

     

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。そんな時僕は、このまましばらくここに留まろうか、いっそ時間が止まってほしいとさえ思う。つまり、欲が出てくる。しかし山はそれほど甘えさせてくれないものだ。

    雲が流れ、日が翳り、冷たい風も吹く。絵画のように完璧だった景色もすぐに移りゆく。山の景色は、感動を与えてくれながらまた、自然の厳しさも教えてくれる。

     

    それがまた山の魅力であり、僕がいつまでも登山に夢中になる理由なのだろう。

     

     

    さて、僕たちが安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本における山小屋の歴史は、霊山に登って修行する禅定者の「室」や「坊」が宿泊施設が始まりと言われている(諸説あるようだが)。現存最古の山小屋建築も、登拝者向けの宿泊施設であった館山の室堂小屋である。

     

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋を作りたい。

    自然と共生できるデザインや作り方、山の恵みを循環させるエネルギー計画、そしてそこに人が楽しく滞在できるファンクション。都市で建築を作るのとは全く違う知識や技術が必要だからこそ、ADXの仲間と成し遂げたい夢だ。

     

     

    さあ、もうすぐ2022年がやってくる。

    また新しい山にアタックしよう。

     

  • 引越し

    ADX Tokyo office、引越しました。
    日本橋小舟町の堀留児童公園に隣接した築38年のオフィスビルを一棟リノベーション、「SOIL NIHONBASHI」として再生。グランドデザイン及び施工パートナーとしてこのプロジェクトに参画しながら、Insitu Japanと共に4階フロアに入居します。隣の部屋はSanu。
    オフィス移転を機にスタッフ一同、気持ちを新たに、「森と生きる。」の表現に取り組みます。
  • 森と繋がるSANU CABIN

    そよそよと風に揺られる木々、光を反射して輝く湖。自然に溶け込むSANU CABINは、現在年間100棟を目標に建築を進めている。ただ、考えてみてほしい。「建築をつくること」は、地球温暖化の大きな要因のひとつだ。あるリサーチによれば、建物の建設と運用は世界のエネルギー使用量の約35%、エネルギーに関連する CO2 排出量の約40%を占めているという。これではSANUが掲げている「Live with nature.」というコンセプトは矛盾に終わる。だからこそSANU、そしてADXは、この難しいチャレンジに本気で向き合ってきた。

    _その土地の生態系を守りながら、自然の中に建築をつくる

    最初のSANU CABINは白樺湖・八ヶ岳に完成し、これから各地に増やしていく計画だ。キャビンの建設が予定されている土地はどこも美しく、自然の中で生活を営む喜びを味わうことができる。

    今回、建築のあり方から「Live with nature.」を表現するため、2nd Homeとしてのデザインと快適性を充実させながらも環境負荷を最小限にするさまざまな工夫を施した。まず基礎部分に関しての工夫から紹介したい。「キャビンが地面から浮いている」ことにお気付きの方も多いかと思うが、従来の別荘開発では、敷地の木を切り倒し土を削る大規模な造成や大量のコンクリートを使った基礎工事など、建物をつくる土台を整える時点ですでに周辺環境への負荷が大きいことが課題であった。

    そこで、SANU CABINでは木の伐採や地形の変化を最小限にするようキャビンを配置、​​傾斜の大きい山地でも最大傾斜30°まで対応できる独自の”杭打ちマシーン”を開発し、コンクリートは一切使わずに高床式の杭工法を採用した。これにより元来流れていた風を止めることなく、大きな木のそばで守られていた草木や小動物の住処も損なわない。土の成分への影響も最低限となる。そうして、場所の生態系を壊すことなくキャビンを建てることができる。地中に杭が深く固定されることで横風や積雪にも耐えられ、人間にとっても自然の中で安全に過ごせる場所となる。

    人が自然と共にあるための建築を実現するには、人間中心ではない視点でその土地を見つめることが重要だ。

     

    _森と繋がるサプライチェーンから考える

    次に、キャビンの構造を支える素材には、100%国産の木材を使用している。一般的に構造に使われる素材には鉄やコンクリートという選択肢もあるが、僕が思うに”木”は最もサステナブルな建材だ。植林して育てれば60〜100年後には建築に使えるほどに成長し、唯一人と共存できる素材だと考えている。さらに言えば、調達・施工・解体・廃棄のライフサイクルを通しての CO2 排出量も、鉄やコンクリートに比べて圧倒的に少ない。

    SANU CABINでは、時が経ちキャビンを解体したときにもまた新しい用途でリサイクルできるよう、極力接着剤や釘を使わない工法で木を使用している。必要になれば、キャビンをまるごとバラして移設することだってできてしまう。大人のプラモデルというと近いかもしれない。

    ではその木はどこからくるのかというと、岩手県釜石の森。釜石地方森林組合との協業で、サプライチェーンを構築した。SANUからは事業計画を、ADXからは使用する木材の量、加工情報や施工スケジュールを事前に提供することで、森では原木伐採から計画的に取り組むことができる。直接やりとりすることで、林業や製材に関わる人々と、設計・施工者、そしてサービス運営者であるSANUが繋がる。顔が見える関係性で想いを紡いでいくこともまた、新しい取り組みだ。

    “使う分だけ伐採する”、将来的には“使う分だけ育てる”など、キャビンを作れば作るほど自然環境にとってプラスの影響を生むことができるリジェネラティブな建築を生み出そうと取り組んでいる。

    _自然と人とが共生する未来に向けて

    建築は使い捨てではない。僕ら建築に関わる人間が想像力をはたらかせ、地球上にある有限の資源をどこからどう使い、どのように次のステージを用意するかを示さねばならない。SANUを通じて、ただキャビンをつくるのではなく、次世代につづく持続可能な建築の未来をつくっている。本番はこれからだ。

  • 建築と人

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。
    足跡は消せない、消えない……。

    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。

    そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    _共存する素材
    僕が設計する建築は、必ず木が存在する。
    木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で、身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に使われる材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちんと育てれば、共存できる存在。だから僕は木を選んだ。

    _自由な建築
    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう?家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    _共存の世界
    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。

    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    そう、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。