About Thinking

ADX CEO / Wood Creator 安齋 好太郎の思考を、現在進行形で綴ります。森への想い、未来のプロジェクトへのヒント、ADXのまわりで起こった日常のエピソードなど幅広いテーマで更新中です。

  • 森とAI

    時間があれば山に出かけ、森の観察を楽しんでいます。
    知人を森に案内し、食べられる木や漢方になる植物、恐ろしい毒がある植物について話し、森の魅力を伝えることもあります。

    森に入るようになったきっかけはいくつかありますが、特に父と山菜取りに行ったときの記憶が、鮮明に残っています。
    一見同じような緑の葉っぱたちが父のスキャニング能力で瞬時に種別され、残った葉っぱたちが次々と、竹細工のカゴに投入されていきます。

    夜、コゴミやコシアブラや豆ダンゴ(福島のトリュフ)などが食卓に並び、おいしく食べることができました。

    最近では、テクノロジーも森に誘導してくれます。
    例えば、自分の健康状態を確認できるウェアラブルデバイス。
    そのデータを元に、適切な森をおすすめしてくれるシステムがあります。
    森に生息する動植物のデータをAIで解析することで、自分の健康状態に適した森をマッチングしてくれるのです。

    さらに、その森に生息する草花を採って、自分のための生薬をつくり出すこともできます。

    さまざまな種類の草花を集めて調合するという、「Pokémon GO」の森版のような楽しみ方が生まれるかもしれません。

    森とAIがコミュニケーションすることで、これまでと異なる森の景色、森の体験を得られるようになります。

  • bio(生物)からの依頼

    設計の仕事は大抵、クライアントから頼まれる。
    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。

    「bio house」(生物多様性の家)は、建物が生態系を支え、人々が自然と調和した生活を送ることができる場所だ。

    設計は、その土地の生態系の調査から始まる。
    外壁や屋上に緑化を施し、さまざまな植物が生育できる環境を提供する。
    そこに鳥や昆虫が集まり、生態系が息づく。

    同時に、周辺の土地の生物多様性の保護と回復を目指す。
    池や湿地をつくり水辺の生態系を再生し、緑地や公園を整備することで、生物の移動経路や生活の場を確保する。

    環境配慮も忘れず、持続可能なエネルギーを利用し、無害な建築材料を選択する。
    環境への影響を最小限に抑えながら、生物多様性の促進をデザインする。
    僕たちの仕事は、建物をつくることではなく、bio houseをつくって自然との共存を実現することだ。

    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。
    もちろん本当に頼まれるわけではないが、啓示のように、自然界の声が聞こえてくる。

  • 建築家と冒険家

    小さい頃から夢見ていたのは冒険家。
    見たことのない風景。未知の領域へ足を踏み入れる興奮。
    本やテレビを伝って立ち上がるワクワク感がたまらなかった。

    今は建築家として、木や森といかにして共存していけるかに挑戦している。
    その過程でまだ見ぬ素材や構造を発見することも多く、そんな時、小さい頃と同じようにワクワクする。

    新しい世界を創り出す建築家としての毎日は、私にとって冒険なのかもしれない。

    新たな目標に向かって進む日々が、私を冒険家にしてくれる。

  • 海が塩辛いのはなぜ?

    幼いころ、内陸に住む僕にとって海は特別な存在でした。
    父と海水浴に出かけるたび、水平線の向こうに、壮大な世界の広がりを感じていました。

    「水はどこからやって来るんだろう?」
    「塩辛いのはなぜ?」
    「魚たちはどうやって息をしているの?」
    「波は何を伝えているの?」

    帰りの車で、父にたくさんの質問を投げかけました。
    父は困ったような表情を浮かべながら、本屋に連れて行ってくれました。

    青い海の風景は僕に問いを投げかけ、大きな海の鼓動は今も、僕の探究心に火をつけるのです。

  • 木を使う2つの理由

    僕が木を使う理由は2つある。
    1つ目は、実家が工務店を営んでいたこともあり、子供のころから木は遊び道具で、慣れ親しんだ空気のような存在だったから。

    2つ目は、建築でストラクチャーになる材料が「鉄」「コンクリート」「木」で、この中で唯一育てることができるのが木だから。

    時間はかかるが、60年も育てれば立派な木になって建築材料として使える。
    コンスタントに育てれば共存できる唯一の素材だと感じた瞬間から、僕は木を選ぶようになった。

  • 一流シェフ

    一流シェフの気持ちで、年に数回料理する。

    料理が出てくる映画を見たあとや、たまたま行ったスーパーでいい食材を見つけた時。
    友人が遊びに来る時や、友人が料理つくれる自慢をした時。
    時々突然、料理魂が目を覚ます。

    味は一流ではないかもしれないが、
    素材選びや出来上がるまでの時間、
    お腹を満たすという意味では超一流かもしれない。
    いつも、得体の知れない料理が誕生する。

    もし興味があれば、メッセンジャーなどで声をかけてください。
    ーー得体の知れない料理家より。

  • 森のカルテ

    「森のカルテ」というプロジェクトでは、森の健康状態を把握するために木々の種類やサイズなどのデータを収集し、土壌中の環境DNAを解析することで、森の状態を立体的に可視化している。

    この取り組みの目的は、森林保全への関心を高め、森林のポテンシャルや素晴らしさを伝えることにある。

    森林が持つ豊かな生命の息吹に触れ、心に刻むことで、共存するための道を模索し、新たな未来に歩んでいくことができる。

    これからも僕たちは、森林資源の保護、管理に全力を傾け、持続可能な未来を築くために、着実に歩みを進めていきます。

  • 小心者

    「信じられない」と言われるかもしれないけど、僕は最近まで、1人で飲食店に行けなかった。

    そんな僕が1人で行ける店がある。
    その店はカウンターづくりである。
    カウンターになんとなく安心するのか、店主と話せるからか、緊張せずに食べられる。

    「なんで?」と聞かれれば、多分小心者だからだと答える。
    今日もバスを降りる時、ボタンを押せなかったほどだ。

  • アリの行進

    週末の高速道路渋滞には長年うんざりさせられている人も多いだろう。
    長時間狭い車中に閉じ込められ、じわりじわりとしか進まない状況に、苛立ちや不快感を覚えることもある。そして、この渋滞の先頭は誰かと問われたら答えられない。

    しかし、高速道路の車と同じように列になるアリたちの行列には「渋滞」が発生することがない。観察するのが趣味な僕にとって、アリたちの行進も大好物である。 不思議なことに、アリたちは行進をしているにもかかわらず、渋滞をしていない。彼らは一定のスピードで前進し、行儀よく目的地に移動している。

    このアリたちの行進は、人類にとってのヒントになるかもしれないな。

  • 料理人みたいな建築家

    「Farm to table」のように、農場から食卓まで、顔が見える建築をつくりたい。
    自然の素材を使い、今、旬な最高のアイデアでレシピをつくる。

    森には、建築に必要なたくさんの素材やヒントがある。
    木は柱や家具に、草木は塗料に、大地は水や空気を綺麗にしてくれる装置になる。

    レシピをつくるだけでなく、自分たちで料理もする。
    旬なアイデアは、レシピに落とすだけでは実現しないから。

    「Forest to building」。森から建物へ。
    料理みたいな建築。料理人みたいな建築家。

  • 自然と人が共存する未来のために、僕は木を選んだ

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。足跡は消せない、消えない……。
    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築と人

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    共存する素材

    僕が設計する建築は、気づくと木が存在する。木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年も育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に必要な材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちっと育てれば、共存できる存在だと思ったからこそ、僕は木を選んだ。

    自由な建築

    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう? 家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい……。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    共存の世界

    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。
    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    さあ、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。

  • 景色

    建築が主役ではなく、そこに訪れるきっかけをデザインすること。

    まったく同じ建築でも、窓からの景色が変われば高揚感を抱ける。

    景色は、日々変化し、時を知らせてくれる。
    建築という、景色を写し出す装置をつくり出している。

  • 登山

    山を登るのが好きだ。きっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも「そろそろ登っておいで」と、誘ってくれていた。

    自分の足で登り、たどり着いた景色を目に焼き付け、心と対峙できる時別な場所。
    疲労感や達成感が混じって、より美しく見える。

    世の中には経験しないと分からないことが沢山あるが、登山もその一つだと思う。

  • 意味と価値

    フェラーリやランボルギーニは2人しか乗れないし、荷物もあまり載せられず、燃費も悪い。移動手段としてはあまり役に立たない。

    でも、高額で売っているし、高額で買う人がいる。

    「機能」ではなく、ブランドや所有する喜びといった「意味」が価値になっている。
    「意味」はデザインやテクノロジーと違って、コピーされないから強い。

  • デザインすること

    美しいものに人は感動するし人は集まる。

    内なる思想も外への言葉も、表現を伝えるには必要だが、それだけではつまらない。

    だから、美しいものをデザインする。

  • 小さい地球のような建築

    小さい頃に憧れた「ISS(国際宇宙ステーション)」は、今もとても好きな建築。

    物資はもちろん、地球から運び出したものだけど、水も電気も空気もない宇宙で、自給自足している。

    建築はもともと、人を、寒さや外敵から守ってくれる装置だった。
    安全から始まったその役割は快適や、単なる金儲けにも変わってきている。

    未知なる場所に、安全に滞在できる生命維持装置。
    自給自足を可能にする小さい地球のようなISSは、人類が作り出した最先端のテクノロジー建築だと思う。

  • 「知識」と「知恵」

    昔から勉強があまり得意ではなく、知識を増やすよりも、知恵を絞るほうが好きだ。
    もちろん知識も必要だが、使えない知識ならいらない。

    何かをつくり出すには、知識を引き出す知恵が必要なのだ。

  • 100年先の未来

    未来について話す時、どのくらい先の、未来の話をする?

    明日? 1週間? 半年先? 1年先?

    僕は100年先の話をします。
    それは木がちょうどいい大きさに育つ時間だから。

    目下の課題は「100年先の森をつくること」。
    森は100年かけないとつくれない。
    自分がいない未来のことも、ちゃんと考えておく。

  • 紫陽花

    紫陽花は、土が酸性かアルカリ性かで花の色が決まるという。
    綺麗な紫陽花だと思って植え付けても、そうでもなかったり、反対に、植えてみたら思いがけず綺麗だったということもある。

    僕は、その「土」のような人になりたい。
    僕は、周りをどんな色にできるだろうか?

  • 山の景色

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。
    そんな時、「このまましばらくここに留まろう」とか「時間が止まってほしい」とさえ思う。

    しかし、雲は流れ、日はかげり、冷たい風も吹く。
    絵画のように完璧だった景色も、気がつけば移ろっている。

    山の景色は感動を与えてくれながら、自然の厳しさを教えてくれる。
    山はそんなに甘えさせてくれない。

    それが、僕がいつまでも登山に夢中になる理由だと思う。

  • 主役

    建築をつくる時に考えることは建築が主役にならないこと。
    これはデザインだけの話ではない。材料もそうだ。

    自然の中に建築をつくる。
    できるだけその生態系に存在する材料で。
    そして、使った量の材料を育てる。

    吹いている風や流れる雨水も大切な資源で、建築はそれを分断してはいけない。
    建築を主役にするから分断してしまう。

    次世代に資源を残す。
    資源として残すか、ゴミとして残すか。

    未来に何を残すか?

  • ルート

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、どの山にも、そのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものを選ぶ。
    天気予報を見て、風と雨の行方を知る。そして、ルートを自分で決める。

    どの季節にどんな景色を見ながら、誰と登るか。
    気分に合わせて、自由に特別な時間をデザインできる。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、平和な都市生活の中でぼんやりしている「本能」が呼び覚まされる。

  • 無駄

    合理的に考えれば建築は四角いほうが効率はいいが、空間に無駄をつくる。

    SANU CABINの室内の局面壁は、幅はぎ材に裏表両面からスリットを入れ捻ることによって、美しい三次曲面をつくり出している。

    原理は襖や障子のようにケンドン式で簡単だが、捻ることで生まれる合力や、滑らかな佇まい、開口を設けることによって居場所ができる。

    無駄に意味を持たせることもできるし、無駄にこそ美しさが存在する。

  • 山小屋

    山に安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本の山小屋の歴史は、霊山に登って修行する行人(あんじゃ)の「室」や「坊」が始まりと言われている(諸説ある)。

    現存する日本最古の山小屋は、登拝者(とはいしゃ)向けの宿泊施設であった富山県立山の室堂小屋(むろどうこや)だ。

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋をつくりたい。
    自然と共生できるデザインやつくり方、山の恵みを循環させるエネルギー計画。
    そして、そこに人々が楽しく滞在できるファンクション。

    都市の建築とはまったく違う知識や技術が必要で、だからこそADXの仲間と成し遂げたい、大きな夢だ。

  • 寿命

    建築の寿命は長いが、我々が携わる時間は、建築の寿命に比べてとても短い。

    時間が経つにつれて、つくる時のエネルギーと比べて、建築にかけるエネルギーは大幅に、急激に減っていく。

    結果として、建築は短命に終わることにもなる。
    建築とは未来をつくるものであるにもかかわらず。そうなっている。

  • カブトムシ

    大きな体で大地をブンブン飛び回ることも素晴らしいが、自然の中に住んでいるのにいつもピカピカのボディ。
    あの性質をクルマや建築に使えたらいつもピカピカでいいだろうな。

    バイオフィリックデザイン。

    森を歩くと色々な生き物に出会う。
    いつも僕を驚かせてくれる。

  • 趣味

    趣味はなんですか?
    と聞かれたら真っ先に登山と答えてしまう。

    でも、登山は、僕にとって趣味とは少し違う位置付けにある。
    修行? 試練? それとも?

    日々刺激を受けたものごとを受けて、一歩一歩山を登り、自分の中に落とし込んでいく。
    思考を整理する場所や方法みたいなものでもある。

    今月もたくさんの刺激を頂いたので、ちょっと山まで行こうと思う。

  • 挨拶

    山頂に向かうにつれて移り変わる景色を楽しんでいると、山登り中の見知らぬ人とすれ違いざまに挨拶をする。挨拶している。

    都会にいると、しないのに、山にいると自然としてしまうのはなぜだろう?

    そこには、都市にあるような、目まぐるしくて膨大な情報は落ちてないけれど、縄張りもなければ、渋滞もない(渋滞する山には登りません)。

    みんなの目的がひとつだから思考もシンプル。
    山にはちょうどいい距離感がある。

    それも山のいいところだ。

  • 資源をつなぐ

    建築物は一般的に数十年の耐久性を持つが、その寿命を全うできずに終わることの方が多いだろう。建築が短命に終わる理由は、デザインのトレンドであったり、ビジネスの環境変化による用途の盛衰、家族が巣立ったりと様々だ。建築とは時代を象徴する物差しであるとも言える。我々建築に携わる者はそんなことに目をつむって、ひとつひとつの要件や具体的な欲求に応じて、相当なエネルギーと知恵をかけて、最も適した建築を生み出す。

    SANU CABINは、同じものを作り続ける建築である。もちろん1棟つくる毎に発見や学びがあり、設計・施工の細やかなアップデートは付きものだが、利用者にとって見える範囲では基本的に「同じ形のキャビン」だ。いつも同じ場所にある電気のスイッチや食器は、通い慣れた第2の我が家である安心感と居心地の良さをもたらす。そして、建築が主役にならないからこそ、窓の先の景色の変化に敏感になる。キャビンの特徴でもある局面壁は、幅はぎ材を両面からスリットを入れ“ひねる”ことによって美しい三次局面を作り出した。その滑らかな曲線に導かれて、窓の外の自然へ目を向ける時間を意図的に増やしている。

     

     

    SANU CABINは現在長野県・白樺湖と山梨県・八ヶ岳に完成しているが、これから日本中の自然豊かな場所に展開していく計画である。このキャビンが各地の美しい景色を写し出す装置として機能していくことを期待している。

    この“同じものつくる”という発想、そして、“建築が主役にならないこと”は現代建築において必要な考えなのかもしれないと考えている。調達、設計・施工、運用、そして移設や解体という建築のライフサイクル全体を通して、自然の時間軸にこちら側が合わせる。そして必ず訪れる建築物の終焉を内包して計画する。今日出来上がった建築をどのような形で未来の世代に渡すのか。ゴミとして残すのか、資源として残すのか。

     

    Photo by Timothée Lambrecq

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    僕は山を登るのが好きだ。

    好きになったきっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも彼から誘ってくれていた。そろそろ登っておいで、と。

     

     

    世の中には経験しないと分からないことは沢山あるが、登山の魅力もその一つだと思う。

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、ほとんどすべての山にはそのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。季節や景色はもちろん、誰と登るか、どんな気分かに合わせてコースを選べば、何とも自由で特別な時間をデザインできる。

     

    天気予報を見て、風と雨の行方を知ること。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものたち、そして、自分で決めるルート。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、普段平和な都市生活の中でぼんやりしている“本能“が呼び起こされる。

     

     

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。そんな時僕は、このまましばらくここに留まろうか、いっそ時間が止まってほしいとさえ思う。つまり、欲が出てくる。しかし山はそれほど甘えさせてくれないものだ。

    雲が流れ、日が翳り、冷たい風も吹く。絵画のように完璧だった景色もすぐに移りゆく。山の景色は、感動を与えてくれながらまた、自然の厳しさも教えてくれる。

     

    それがまた山の魅力であり、僕がいつまでも登山に夢中になる理由なのだろう。

     

     

    さて、僕たちが安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本における山小屋の歴史は、霊山に登って修行する禅定者の「室」や「坊」が宿泊施設が始まりと言われている(諸説あるようだが)。現存最古の山小屋建築も、登拝者向けの宿泊施設であった館山の室堂小屋である。

     

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋を作りたい。

    自然と共生できるデザインや作り方、山の恵みを循環させるエネルギー計画、そしてそこに人が楽しく滞在できるファンクション。都市で建築を作るのとは全く違う知識や技術が必要だからこそ、ADXの仲間と成し遂げたい夢だ。

     

     

    さあ、もうすぐ2022年がやってくる。

    また新しい山にアタックしよう。

     

  • 引越し

    ADX Tokyo office、引越しました。
    日本橋小舟町の堀留児童公園に隣接した築38年のオフィスビルを一棟リノベーション、「SOIL NIHONBASHI」として再生。グランドデザイン及び施工パートナーとしてこのプロジェクトに参画しながら、Insitu Japanと共に4階フロアに入居します。隣の部屋はSanu。
    オフィス移転を機にスタッフ一同、気持ちを新たに、「森と生きる。」の表現に取り組みます。
  • 森と繋がるSANU CABIN

    そよそよと風に揺られる木々、光を反射して輝く湖。自然に溶け込むSANU CABINは、現在年間100棟を目標に建築を進めている。ただ、考えてみてほしい。「建築をつくること」は、地球温暖化の大きな要因のひとつだ。あるリサーチによれば、建物の建設と運用は世界のエネルギー使用量の約35%、エネルギーに関連する CO2 排出量の約40%を占めているという。これではSANUが掲げている「Live with nature.」というコンセプトは矛盾に終わる。だからこそSANU、そしてADXは、この難しいチャレンジに本気で向き合ってきた。

    _その土地の生態系を守りながら、自然の中に建築をつくる

    最初のSANU CABINは白樺湖・八ヶ岳に完成し、これから各地に増やしていく計画だ。キャビンの建設が予定されている土地はどこも美しく、自然の中で生活を営む喜びを味わうことができる。

    今回、建築のあり方から「Live with nature.」を表現するため、2nd Homeとしてのデザインと快適性を充実させながらも環境負荷を最小限にするさまざまな工夫を施した。まず基礎部分に関しての工夫から紹介したい。「キャビンが地面から浮いている」ことにお気付きの方も多いかと思うが、従来の別荘開発では、敷地の木を切り倒し土を削る大規模な造成や大量のコンクリートを使った基礎工事など、建物をつくる土台を整える時点ですでに周辺環境への負荷が大きいことが課題であった。

    そこで、SANU CABINでは木の伐採や地形の変化を最小限にするようキャビンを配置、​​傾斜の大きい山地でも最大傾斜30°まで対応できる独自の”杭打ちマシーン”を開発し、コンクリートは一切使わずに高床式の杭工法を採用した。これにより元来流れていた風を止めることなく、大きな木のそばで守られていた草木や小動物の住処も損なわない。土の成分への影響も最低限となる。そうして、場所の生態系を壊すことなくキャビンを建てることができる。地中に杭が深く固定されることで横風や積雪にも耐えられ、人間にとっても自然の中で安全に過ごせる場所となる。

    人が自然と共にあるための建築を実現するには、人間中心ではない視点でその土地を見つめることが重要だ。

     

    _森と繋がるサプライチェーンから考える

    次に、キャビンの構造を支える素材には、100%国産の木材を使用している。一般的に構造に使われる素材には鉄やコンクリートという選択肢もあるが、僕が思うに”木”は最もサステナブルな建材だ。植林して育てれば60〜100年後には建築に使えるほどに成長し、唯一人と共存できる素材だと考えている。さらに言えば、調達・施工・解体・廃棄のライフサイクルを通しての CO2 排出量も、鉄やコンクリートに比べて圧倒的に少ない。

    SANU CABINでは、時が経ちキャビンを解体したときにもまた新しい用途でリサイクルできるよう、極力接着剤や釘を使わない工法で木を使用している。必要になれば、キャビンをまるごとバラして移設することだってできてしまう。大人のプラモデルというと近いかもしれない。

    ではその木はどこからくるのかというと、岩手県釜石の森。釜石地方森林組合との協業で、サプライチェーンを構築した。SANUからは事業計画を、ADXからは使用する木材の量、加工情報や施工スケジュールを事前に提供することで、森では原木伐採から計画的に取り組むことができる。直接やりとりすることで、林業や製材に関わる人々と、設計・施工者、そしてサービス運営者であるSANUが繋がる。顔が見える関係性で想いを紡いでいくこともまた、新しい取り組みだ。

    “使う分だけ伐採する”、将来的には“使う分だけ育てる”など、キャビンを作れば作るほど自然環境にとってプラスの影響を生むことができるリジェネラティブな建築を生み出そうと取り組んでいる。

    _自然と人とが共生する未来に向けて

    建築は使い捨てではない。僕ら建築に関わる人間が想像力をはたらかせ、地球上にある有限の資源をどこからどう使い、どのように次のステージを用意するかを示さねばならない。SANUを通じて、ただキャビンをつくるのではなく、次世代につづく持続可能な建築の未来をつくっている。本番はこれからだ。

  • 建築と人

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。
    足跡は消せない、消えない……。

    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。

    そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    _共存する素材
    僕が設計する建築は、必ず木が存在する。
    木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で、身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に使われる材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちんと育てれば、共存できる存在。だから僕は木を選んだ。

    _自由な建築
    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう?家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    _共存の世界
    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。

    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    そう、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。