About Thinking

ADX CEO / Wood Creator 安齋 好太郎の思考を、現在進行形で綴ります。森への想い、未来のプロジェクトへのヒント、ADXのまわりで起こった日常のエピソードなど幅広いテーマで更新中です。

  • 虫のことはなんでも聞いてください

    最近、山で出会ったおじいちゃんと話していたら、

    うつむきながら小さな声で、「虫のことはなんでも聞いてください」と話し始めた。

    少し間をおいて、「蝶が好きで、気付いたら50年間も追っかけていました」と続いて、

    「特に好きなのがチョウセンシジミ蝶で、今、彼らが生息できる場所をつくっています」と。

     

    森林保安の仕事を定年まで続け、今は、蝶が生息するトネリコの植樹をしているそうだ。

    岩手、山形、秋田に生息するチョウセンシジミ蝶は年々減っており、絶滅危惧種らしい。

    蝶が生息しやすい川辺に木々を植え、もともとあった生態系に近づけようとしているのだ。

    蝶が、「昨年植えたトネリコに寄生して孵化した」と目をキラキラさせながら話してくれた。

     

    僕はその蝶のことを知らないが、

    その蝶を知りたくなったのと同時に、彼のことを好きになった。

    年を重ねても、あんなに自分に素直になれるのってすばらしい。

    山の先輩から勇気を頂きました。

  • 理想の森

    この仕事をしていると、「一番好きな森はどこ?」と聞かれるが、実は困ってしまう。

    釜石の森も奄美大島の森も、安達太良山の森も大好きだが、それぞれ個性があるからだ。

     

    釜石には60年間も継続的に手入れをされた立派なスギの森があるし、

    奄美にはモコモコと力強い生命力を放つシイノキの森、

    安達太良山には天然ヒノキの北限と言われる森がある。

    森ごとに異なる景色がある。

     

    森に入った時の雰囲気でいえば、ブナやコナラ、クヌギ、ケヤキなどの広葉樹をメインに、スギやヒノキといった針葉樹がバランスよく生えている森が好きだ。

    建築材料の視点では、広葉樹と針葉樹が混在していると材料を切り出すのが大変で、安定的な木材の供給が難しいという見方もできる。

     

    森にはそのほか、渇水や洪水を緩和する水源かん養機能や山地災害の防止機能、二酸化炭素の吸収や貯蔵、騒音防止といった生活環境の保全機能、自然環境教育の場、野生動物の生息の場などの保健文化機能もある。

     

    「森と生きる。」を掲げる僕らが理想とするべきは、持続可能な建築材料を生み出す森なのか、はたまた多様な生き物が息づく森か、自分が住んで心地よい森か。

     

    最近、改めて森について勉強している。

    学べば学ぶほど、好きな森が分からなくなっているというのが僕の現在地だ。

  • ジャン・プルーヴェの言葉

    学生のころ、野山に出かけては建物のデザインを描きまくった。
    目の前のなめらかな葉っぱの形や、風の流れをうまくかわす鳥の巣をモチーフにする。
    今も、デザインのインスピレーションのほとんどは自然の中にある。

    社会に出ると、構造力学やコストを考えなければならなくなった。
    自然の美しさを建物として実現させることができるようになった。

    ADXには、さまざまな専門分野を持つメンバーがいる。
    デザイナーや構造や機能、コストを担うメンバーがホワイトボードを前に議論を重ねる。
    異なる専門性を持つメンバーが集まることで、プロジェクトはゴールに向かって動き出す。

    ADXが求めるのは、優先順位が高い順に「環境への配慮」「施工性」「耐久性」「デザイン性」そして「ユニークさ」だ。
    どんなアイデアも、これらを満たさなければ実現することはない。

    20世紀の建築や工業デザインに大きな影響を与えたフランスの建築家でデザイナーのジャン・プルーヴェの有名な言葉がある。

    Never design anything that cannot be made.
    (つくれないものをデザインしてはならない)

    ADXの大切な指針の一つとして、この言葉がオフィスの壁に記されている。

  • 都市に必要なものは?

    都市は、人がつくったものでできている。
    建築や道路、車など、目に見えるもののほとんどは誰かがつくり出したものだ。
    これからも、人はさらに豊かな生活を求めて、様々なものをつくり続けるだろう。

    ところが都市には、深く深呼吸するのに適した場所や、太陽を見て時刻を予測することなど、人が本当に必要とする要素、つまり、自然との関わりが抜け落ちているように思う。

    機能としては、空気清浄機やiPhone、時計といったツールで置き換えることが可能だが、深呼吸は、酸素を肺に取り入れるだけではなく、気持ちをリセットする効果もある。
    太陽の高さで時刻を測るのは、季節の変化を感じ、感覚のチューニングにもつながる。

    どんなにテクノロジーが発達しても、人と自然の関係はそう大きく変わらない。
    ものをつくる人は、都市づくりに携わる人は、
    人が本当に必要としているものはいったい何か、一度、手を止めて向き合ってみるといい。

  • 時々、原寸大のモックアップをつくる意味

    建築の世界では、実際に建物を施工する前に、

    「パース」と呼ばれるCGや、机の上に乗るくらいのサイズの模型をつくるプロセスがある。

    建築の図面が読めない一般の人に、建ったときのイメージを共有することが主な目的だ。

     

    社内でも、このパースや模型を用いて、

    「コンセプトを表現できているか?」「周りの自然環境と馴染むか?」など、デザイン面を検証する。

    改めて立体で見ることで、平面では気が付かなかった細かな修正項目を発見できることも多く、パースや模型での検証はとても大切だ。

     

    パースや模型での検証を繰り返した後、「モックアップ」と呼ぶ、実寸の模型をつくることもある。

    すべてのプロジェクトでモックアップをつくるわけではないが、

    同じデザインで10棟以上建てる場合など、量産が前提のプロジェクトでは必ず行うプロセスだ。

     

    実寸のモックアップにも、デザインを確認する意図はあるものの、

    どちらかと言うと、量産に耐え得る機能性や安全性、施工・メンテナンス性に加え、

    パースや模型では確認できない、「使いやすさ」や「つくりやすさ」の確認が主目的だ。

     

    「使いやすさ」で言えば、例えば、キッチンの棚の高さやコンセントの位置、包丁の置き場所なども検証する。

    ADXの料理好きなスタッフが、「これだと2品同時に調理しにくい」と言いながらチェックする。

    設計チームがどれだけスタイリッシュなデザインを考えたとしても、「使いやすさ」を優先するのがADXだ。

     

    「つくりやすさ」は、ADXの百戦錬磨のコンストラクションチームが睨みをきかせてチェックする。

    「作業者の安全は確保できるか」「将来どんな経年変化が予想され、その時にメンテナンスしやすいか」など、次から次へと確認していく。

     

    安全性のチェック方法は、ひたすらアナログだ。

    階段の段差やコーナー部分の確認では、近所の子供やおじいさん、赤ちゃん連れやにモックアップを体験してもらい、不安なところがないか尋ねるのだ。

     

    僕はこのモックアップが大好きだ。

    建築がどのようにつくられ、どのように使われ、どのようにメンテナンスされていくのか。

    モックアップを通して、その建物の未来を何年、何十年分も想像する。

     

    実物大で検証し、未来を想像するからこそ、

    僕らは建物への自信と責任を持てると思うんだ。

  • ひみつ道具

    ドラえもんはいつも、のび太が困っていることを解決したり、

    やりたいことを実現したりするための、最適な道具を出してくれる。

     

    子供のころ、「ひみつ道具の中で1番欲しいものは?」と聞かれて、

    迷わず、「4次元ポケット!」と答えたことがある(反則だろうけれど)。

    不可能を可能にする道具が出てくるあのポケットが欲しいと、本気で思っていたのだ。

     

    今でも仕事をしていると、ドラえもんの4次元ポケットを思い出す。

    目の前の課題を解決し、不可能を可能にするために、どの道具を使おうかと考える。

    それは例えば、建築の新しいつくり方だったり、何かを加工するための大きな機械だったり、

    自分のポケットの中にある、自分だけの「ひみつ道具」を使っている。

     

    さて、今回はどの道具を使おうか。

    四次元ポケットとひみつ道具を手に入れた今、僕がつくろうとしているのは、

    家族や友人と真冬のパタゴニアでのんびり快適に過ごすための、

    寒さ暑さにも強く、自然や土壌への影響が少ない、小さなキャビンだ。

  • 森が教えてくれること

    数年前から始めた森の調査は、私にとって特別な時間です。

    歩きながら、木の形や高さを見たり、木の種類を調べたりしています。

    「LiDAR」という最新のセンシング技術を使って、時々、土や水のことも調べています。

     

    森を好きになったのは、地図もなしに森を歩き、キノコや山菜を竹籠に集めていた祖父のおかげです。

    祖父は、必要なものを自分でつくることが多く、家具やおもちゃ、時には薬も、森で見つけた材料でつくっていました。

    自然のことをとてもよく知っていて、私にもそれを教えてくれました。

     

    今でも、森に調査に行く時には、祖父が教えてくれたことを思い出しながら、新しい発見を探して歩きます。

    森はいつも、新しいことを教えてくれる場所。

    森のことをもっと知れば、もっと色々なものをつくれるようになると思っています。

     

    だから、今日もまた、森へ行きます。

  • 泳げないので4800メートルのモンブランに登る

    2024年は、大きなチャレンジが待っている。

    仕事でもプライベートでもチャレンジはあるが、今回はプライベートの挑戦について。

     

    プライベートの1つ目は、500メートル泳げるようになること。

    「おい、それが挑戦かよ」と思われるかもしれないが、金槌の僕にとっては無謀ともいえるほど壮大な挑戦だ。

    どのくらい泳げないかというと、正月早々、手始めに近所のプールに行ってみた。

    25メートルプールで泳いでみた結果、身体はまったく前に進まず、ただバタバタして沈むだけだった。

     

    昔から負けず嫌いの僕は、2024年内に、必ず500メートルを泳ぎ切ろうと決心した。

     

    もう1つは、会社を1ヶ月間休むこと。

    僕は仕事が好きで、2024年の正月も毎朝スタバに出勤して黙々と働いていた。

    誰にも話かけられないし仕事のメールも届かないので、いつもより仕事がはかどるのだ。

    しかし、正月も休めないようでは、1ヶ月も休むのは不可能だ。同時に虚しさも感じていた。

    毎年この調子では、この先、なんだかつまらない人生が待っている気がしたのだ。

     

    では、どんな正月を迎えたいか妄想してみると、自分がつくった山小屋で、家族や友人と温かいポトフを食べ、ウイスキーを飲みながら過ごすというイメージが湧いてきた。

     

    そこで、山小屋の調査も兼ねて高い山に登ることにした。

    今回アタックするのは、フランスとイタリアの国境に位置するヨーロッパアルプスの最高峰。フランスのモンブランで、標高は4800メートルだ。

    モンブランの中伏、3800メートル付近には、グーテ小屋(Refuge du Goûter)があるのだ。

     

    これまで、いろんな山々に登ってきたものの、4000メートル級は初めてでワクワクする。

    ETH(スイス連邦工科大学)チューリッヒ校/スタジオ・モンテ・ローザが設計した「新たなモンテ・ローザの山小屋」にも行こうと思う。

     

    山小屋で理想的な正月休み方を実現できれば、

    ADXが掲げる、「世界中の山に山小屋を作る」という挑戦も、同時に叶えられそうだ。

     

    もし参加したいメンバーがいたら大歓迎だぜ。

  • ずっと続く連載小説

    季節が移ろうのと同じように、僕の興味も変わっていく。

     

    読む本も、森の本や山の本、虫の本に始まり、最近では、

    ビジネスやゲノム解析、歴史やエネルギー、ロボット工学、宗教まで幅広い。

    毎年、新しいジャンルが追加されている。

     

    もちろん、本だけではない。

    ここ最近は衛星に興味があって、日々、JAXAを含めていろんな人に会いに行っては、

    衛星の歴史や機能、つくり方など、まるで子供のように質問し続けている。

     

    建築の仕事をきっかけに木材に興味を持ち、そこから森に興味を持ち、

    次に森の歴史に興味を持ち、さらに、森の生き物や菌類にも興味を持ってきた。

    森の水や空気にも興味を持ち、今は、森の水や空気の可視化にも興味が広がっている。

     

    一つひとつのカテゴリーは別ものだが、連想ゲームのように興味を広げていくことで、

    最終的には、森を豊かにするということにつなげていくのだ。

     

    僕の興味は短編小説ではなく、

    森を豊かにするというひとつのテーマでこれからもずっと続く、連載小説なのである。

  • 石や土を建築に使うきっかけ

    石や土、木といった身近な素材に着目したのは、最初は、コストを下げるためだった。

    建築は予算との戦いだ。
    昔は、クライアントの要望や自分たちが挑戦したいことを図面に落としこみ、
    いざ見積もりを取ってみると、予算が大幅にオーバーしてしまうことも多かった。
    今は予算管理の仕組みがあるので、予算のズレを誤差程度に抑えられるようになったが、
    当時はその調整に非常にエネルギーを費やしていた(その分、鍛えられた)。

    2017年、福島にある磐梯山のふもとに完成した別荘、「one year project」では、
    コンクリートの代わりに、近くにゴロゴロしていた、
    160年前の会津磐梯山の噴火で飛んできた3、4トンクラスの石を基礎に使った。
    敷地内に転がっていた石は無料なので、掛かったのは移動させるコストだけ。

    そもそも基礎は、建物を基礎の重さで安定させる役割を担う。
    3、4トンの大きな石をいくつか並べれば、基礎としては十分だった。
    結果、建築コストを下げることができた。

    2012年、福島県二本松市と福島市の山間に完成した「CAVE」という住宅プロジェクトでは、
    敷地に傾斜がついていたため、まず、土地を平らにする必要があった。

    土地を平らにすると、大量の土が出る。残土処分だけで相当な費用がかかるので、
    その土を使って、約6000個の日干しレンガをつくると、建築コストを抑えることができた。
    6000個ものレンガは、たくさんのDIY好きが集まって、ワークショップを開催してつくった。

    コスト削減を通じて、身近な素材に興味が湧いたことがきっかけで、
    今では、多くの自然素材や環境について学ぶことができている。

    先人は、遠くにある材料で建築をつくるのではなく、きっと、
    裏山や敷地内にある素材を使って、工夫を凝らし、建築と自然をつなげていたはずだ。

    僕らはその哲学を継承し、それでいて、新しい建築をつくり続けようと思います。

  • クマムシ先生

    新しいことを学ぶことは、僕にとって至福の時間だ。

    それは幼少のころから変わってなく、むしろ年々、学びたい欲が増している。

    知らなかった世界を知る感覚は、山に登る時、図鑑片手に山野草を探す感覚に少し似ている。

    もし遭難したらこの野草を食べようと、目の前の新しい情報を元に想像を膨らませて歩く。

    毎日が、学ぶ世界が、僕をワクワクさせてくれる。

    最近のお気に入りはクマムシだ。

    先日はクマムシの研究者に会いに行き、いろいろ教えてもらった。

    こいつはやばい。

    超高温や超低温、人の致死量の1000倍超のX線、7万5000気圧、宇宙空間にも順応する。

    乾眠状態では自らの水分量を85%→3%にし、30年以上冷凍保存されても生き延びる環境循環型生物で、地球上で最強の生物。それがクマムシだ。

    昨晩、「クマムシ観察キット」を購入した。

    今日はさっそく、公園に出かけてクマムシを探します。

  • 2030年までに週休3日を実現する

    ADXの社内にはカタログが少なく、部材表や材料表、木材産地マップが多くある。
    自分たちでメニューを考え、部材の生産者を訪ね、めちゃくちゃイケてる建築をつくる。
    そんな、シェフのような建築集団を、ADXは目指している。

    そう言うと、こだわり強めのヒゲ親父が弟子を引き連れて黙々とつくる。
    古風でブラックな、昔ながらの建築事務所のイメージが湧いてくるが、そうではない。
    ADXは、2030年までに週休3日を実現すると宣言しているし、
    僕らのスタイルはもう少しユニークだ(頑固親父も好きだが)。

    まず、建築をプロダクト化する。
    つまり、ADXのファクトリーで建築パーツを安全につくるのだ。
    そして、そのプロダクトに適正なサイズ制限を設け、工法、材料を木材に特化させる。
    そう言うと、大手量産メーカーや大量生産、大量消費のようにも聞こえるが、それもまた違う。
    3Dデジタル化によって、多様でオリジナルなデザインを小ロットで生産できるようになるのだ。

    他人がつくったものを並べて語るのではなく、自分たちでつくって語ることを大切にしている。
    そっちのほうがカッコいいし、単純に楽しいからだ。

    お惣菜を買ってきて並べるのではなく、自ら育てた野菜で調理することの贅沢さを、ADXの仲間たちは知っている。

  • 本棚ジャズセッション

    夫婦そろって本好きなこともあり、「欲しい本は我慢せずに買ってよい」という暗黙の了解がある。

    その結果、家には大量の本があり、さらに毎月数冊ずつ増えていく(当然だが)。

     

    数年前に買った大きな本棚はすでにいっぱいで、本棚に入りきらない本たちが、リビングや階段、食品置き場、洗面所の棚、家のあちらこちらに増殖している。

     

    年末の気配が漂い出した先週末、思い切って本の整理をしてみることにした。

    世の中のお決まりのパターン同様に、2、3冊目で手が止まり、本を読み出してしまった。

    久しぶりに開いた本の内容に、「これは今のプロジェクトに使えるな」と心奪われたり、買ったときに悩んでいたことや考えていたこと、感情が蘇ったりしてくる始末だ。これでは片付けどころではない。

     

    我が家の本の種類はこうだ。

     

    • 僕の選書

    ・「森・山・虫・動物」テーマの本 50%

    ・「冒険」テーマの本 25%

    ・「環境問題・エネルギー」テーマの本 10%

    ・「建築」テーマの本 5%(意外と少ない)

     

    • 妻の選書

    ・「ブランド・マーケティング・経営」テーマの本 50%

    ・「アート・日本文化」テーマの本 20%

    ・「小説・詩・エッセイ」など 20%

    ・「旅・食」テーマの本 10% 

     

    夫婦それぞれに個性があり、けっこう偏っている。

    しかしその偏りがいいバランスで、本棚の中で2人がジャズセッションをしているかのように、予想外の発見があったりする。

     

    本棚は、自分が生きるために携えておきたい知や情報を溜めておく場所でもあると思う。

    僕たちは必要なときに本棚の前に立ち、お互いに影響し合いながら、何かを学んだり、感じたりする。

     

    週末、こうして半日以上、本棚の前で過ごした結果、3冊の本を整理して、6冊の本を買った。

  • 100年続く働き方

    設計や施工の仕事は、クライアントからの依頼がほとんどだ。

    クライアントから要望を受けて、デザインを考えたり、建物を建てたりを代行する。

     

    建物のデザインや図面は、建物ごとに、その都度オーダーメイドで用意する。

    カフェやレストラン、オフィスやホテルなど、用途によって要望や制約は大きく異なる。

    施工では常に新しい課題に直面するため、施工方法や工程は現場ごとに見直し、調整する必要がある。

     

    プロジェクトがひとつ終わるたびにホッとする一方で、

    こうした仕事の進め方やクライアントだよりのビジネスモデルが、

    スタッフや会社、環境にとっても健康的でないと、徐々に感じ始めている。

     

    ADXは、一緒に働く仲間たちにより良い環境の提供を目指している。

    クリエイティブな仕事に見合う報酬や休息は不可欠だ。

     

    そのためには、働き方とビジネスモデルの両方を同時に変えていく必要がある。

    今後は、建物が完成した後の運営やエネルギーマネジメントにも取り組むなど、

    より持続可能で、より意義のあるプロジェクトを、仲間と一緒につくり上げていく。

     

    100年先を見据えて、持続可能な設計や施工の新しい仕事、新しい働き方に挑戦していきたい。

  • 講演会は「伝える」のトレーニング

    最近、講演会に招かれて、ADXや森での活動について話す機会がある。

    数百人に向けて話すこともあるし、建築業界や林業関係の方々に向けて。

    ときには、一般の方々や、子供たちに向けて話すこともあった。

     

    誰が聞き手であろうと、僕が伝えたいことは基本的には変わらない。

    だけど、同じ業界のプロに向けて話すほうが圧倒的に話やすい。

    建築や森を取り巻く環境や課題をある程度把握しているし、専門用語もそのまま通じる。

     

    反対に、一般の方々や子供に話そうとすると、誰にでも分かる言葉に変換して説明したり、

    たとえ話に置き換えたり、イメージを補足したりする必要が出てくる。

    午後のいい時間の授業に立つときは、学生たちが退屈しないよう、話の中にスパイスを散りばめておきたい。

     

    これがけっこう難しくておもしろい。

     

    分かりやすさ、キャッチーさを優先して例え話を持ち出しても、ポイントがズレてしまっていたり、

    説明を丁寧に付け足しながら話していると、与えられた時間内に収まらなかったりする。

    はっきり言って苦戦することも多い。

     

    僕は講演会が決まると必ず、どんな相手にどんな話を伝えるか、紙に書き出して台本を作る。

    そこで、「どんな例え話なら伝わりそうか?」「最近話題になったニュースに関連付けられるか?」など、

    聞き手にとって身近な話題から考えて、少しでも伝わる内容について頭の中で考える。

     

    講演会で話した内容の良し悪しは、終わるとすぐに分かる。

    伝えたいことが伝われば、名刺交換を求める行列ができるが、いまいちならそそくさと会場を後にすることになる。

     

    森にはたくさんの可能性がある。

    僕が伝えたいのはいつもそれだけ。だけど、上手に伝えるのは意外と大変なのだ。

  • 僕たちの仕事は、世の中を変える仕事だ

    ADXでは、仲間を募集している。

     

    募集職種は、設計デザイナーに施工管理者、

    ランドスケープ設計デザイナー、LABのエンジニア、環境研究者など多岐にわたる。

    僕らがつくりたい「自然と共生する建築」や、建築が増えるほど森が豊かになっていく世界に欠かせない、いろんな得意分野を持つ人たちとチームをつくりたい。

     

    もちろん、「森と生きる。」というADXのフィロソフィーへの共感も大切である。

     

    そもそも面接という場が苦手なこともあるが、

    僕は、代表なのに面接に出させてもらえない。

    なぜなら、僕が面接をすると全員合格させてしまうからだ。

     

    そして、全員合格させてしまう言い訳はこうだ。

    「働いてみないと分からないから、まずは一緒に働いてみよう!」

    だから、ADXの面接は、基本的には他のスタッフが対応することになっている。

     

    そんな僕にも、採用における役割がある。

    応募者の履歴書の文章やポートフォリオを、穴が開くまで見る。

    何を伝えようとしているか、何を訴えようとしているかを見る。

     

    自分はこれができて、今後、これをやりたいと伝わってくる履歴書は気持ちがよく、

    僕個人としては会う前から合格である。僕たちの仕事は、世の中を変える仕事だ。

    その姿勢があるかどうかは、履歴書を見れば大体分かるのだ。

     

    ADXは今、22人のメンバーで、

    「世界中のあらゆる過酷な環境に建築をつくる」ことに、日々取り組んでいる。

    そのためにいい仲間を探して、一緒にチームをつくる。

  • noteを辞める言いわけ

    2022年11月にnoteを始めて、そろそろ1年になる。

     

    日々、感じたことをiPhoneのメモに残して、週末になるとそこから目ぼしいテーマを見つけ、週1で文章にする作業を続けてきた。

    過去の投稿一覧を眺めるとその時々の出来事が並んでいて、この活動は僕にとって、まさに“ノート”の役割を果たしている。

     

    そんなnoteではあるが、実はなかなかしんどい。

    僕はもともと書くことが得意ではないので、1週間のメモを見返しても書きたいことが思いつかず、ネタ切れに陥ることも多々ある。

    家族から、「今週は何を書くの?」と尋ねられても、曖昧に誤魔化すこともあった。

     

    そこで今日は、このnoteをいかに健やかに終わらせるか、考えることにした。

    言いわけは、いろいろと思いつく。

     

    「noteの更新、1年達成! また会う日まで。good-by」

    「しばらくの間、週末は育児に専念します! チャオ」

    「森に冬眠する季節になりましたね。春にまた会いましょう! おやすみ」

     

    どれもまぁ、ありきたりな終わり方でモヤモヤする。

    もっとイケてる終わり方は、ないのだろうか……。

     

    そんなことを思案していたら、また、1週間経ってしまった。

    それどころか、辞める言いわけを考えていたらメモがどんどん溜まってくるから、なんとも皮肉なものだ。

     

    そうか。真逆の視点から考えることで、新しいアイデアが生まれることを忘れていた。

    ものごとを違った視点で見直すことは、世の中を変える発明やイノベーションの出発点になる。

     

    例えば、地上にあるソーラーパネルは、太陽が出ていない夜や曇りの日には発電できない。

    そのため、発電事業者は、曇りの日が少ないエリアに設置したり、パネルの角度を調整したり、その環境における発電効率を最大化しようとする。

    しかし、夜も雲もなく、時間にも天候に左右されない宇宙空間にソーラーファームをつくれば、現状の課題を根本的に解決できる。

    宇宙空間に太陽光パネルを設置して発電するという、まるで子供が考えたかのようなアイデアの実証実験は、すでに始まっている。

     

    「曇りの日があって困るなら、雲がない宇宙に行けばいい」

    できない言いわけを考えていると、逆転の発想から、新しいアイデアが生まれることもある。

    子供は言いわけを作る天才で、僕はいつの間にか、当たり前を考えるようになっていた。

    そんなことに、1年間、毎週書き続けることで気付くことができた。

     

    まだまだ、noteを続けていこうと思います。

  • モビール

    子供が産まれて、必要なものが色々と増えた。

    その一つに「モビール」がある。

    モビールはベビーベットの上などに吊り下げる飾りで、様々な色や形をした飾りが風でゆらりゆらりと揺れるのを赤ちゃんが目で追うことで視覚が刺激され、見る力や脳の発達を助けるという。

    赤ちゃんというのは、生後すぐはほとんど目が見えていないけれど、2ヶ月ほど経つと徐々に視力が育ってくる。

    風で揺れるモビールは、それぞれの飾りが異なる物質・重量にも関わらず、バランスをとり、風や温度差で動く。

    見た目ではとても単純だが、これがなかなか難しい。

    シーソーと同じく、同じ飾りが左右に2つであれば、その2つの重さを均等にすれば良いのだが、一般的にモビールには左右にいくつかの物体がぶら下がっている。

    しかも、片方は鳥の形をしていて、もう片方はライオンの形をしているといった具合だ。

    さらに、複雑なモビールになると、1段目、2段目と階層が連なっていて、そのバランスを1本の吊り糸で取っている。

    こうなると、計算を繰り返し、吊り上げて、修正して、また吊り上げる。果てしない作業が必要になる。

    さて、僕はモビールをつくることにした。

    僕は幸い計算が得意である。

    建築の仕事では、吊り合いのバランス計算をすることもよくあるのだ。

    大学など、建築の授業の中ではモビールづくりをすることもあるらしい。

    モビールのバランスが取れた姿、そして、自然の風によって柔らかく揺れる姿は、優雅でとても美しい。

    今回つくるモビールには、森で拾った木の枝や実、石ころなどを吊り上げようと思案中だ。

  • ぼくのバディ(BANKとPANTAの話)

    数年前まで、僕は2頭の犬を飼っていた。
    兄の「BANK (バンク)」と弟の「PANTA(パンタ)」。
    今日は彼らとの思い出を書こうと思う。

    兄のBANKは優しく聡明で、僕が話しかける言葉をほとんど理解していた。
    弟のPANTAはとことんやんちゃで、好奇心のままにいたずらをしてはいつも僕を困らせた。

    2頭はスイスにルーツを持ち、山岳救助犬としても活躍する、バーニーズマウンテンドッグという大型犬だ。
    それだけに寒さにはめっぽう強く、真冬の東北・福島でもお腹を出して寝ていたくらいだ。

    会社に行く時も山に登る時も、BANKとPANTAといつも一緒だった。
    僕が出かける気配を感じると、揃って定位置にスタンバイ。車のトランクに乗せて、どこへでも連れて行った。

    僕らのホームマウンテンである安達太良山(あだたらやま)は、犬連れでの入山が許可されていて、2頭を連れてよく山登りをした。
    登山スタイルにも、BANKとPANTAの個性がそれぞれ表れるからおもしろい。

    安達太良山は、 標高1700mで比較的登りやすい山だが、油断してペースコントロールを間違えると、人間でもすぐに息が上がる。
    BANKは無理をせず、最初から最後まで同じペースで歩く。
    やんちゃなPANTAは序盤ではしゃぎ回って、大抵、途中で息切れしてしまう。
    そんな弟の様子を、兄は少し先から、のんびり眺めて待っている。

    ある時、いつも通り調子良くスタートしたPANTAが、きつい上り坂の途中で進まなくなった。
    バーニーズは50kg超えの大型犬だ。同じく息の上がった僕が担ぐには、さすがに重すぎる。
    どうしようかと困っていたら、数十メートル先の開けたところからこちらの様子を伺っていたBANKが、ひょいと下りてきた。
    PANTAのお尻側に回り込み、頭と肩を上手に使ってPANTAの腰を支えると、そのままずいずいと押して歩いた。
    そうやって、急な坂道を登りきったところで振り返ると、「お前は大丈夫か?」といった顔つきで僕を見る。
    僕が「こちらはかろうじて、大丈夫」と笑い返すと、また元のペースでのんびりと歩き出した。

    犬と人間は数万年前から付き合いがあり、人間の最も古い親友と言われている。
    もともと野生の肉食動物だった犬を人が好んで側に置いてきたのは、きっと、狩猟や護衛という家畜としての役割を担ってくれたから、だけではないだろう。

    僕はBANKとPANTAと確かにコミュニケーションを取っていて、登山の時以外、例えば仕事に悩んだときにもよく助けられた。
    月並みな表現だが、2頭が旅立った今も変わらず、家族だと思っている。

    犬たちに支えられて、人類はここまで進化して来たんだろうな。
    寒い季節の訪れを身体で感じながら、ふと、そんなことを思った。

  • ノルウェー旅(後編)「Snøhettaにした4つの質問」

    ノルウェーで訪れたSnøhettaの働き方に興味が湧いて、僕は4つの質問をした。

    Q1/「デザインはどう始まるか? デザイン決定権は誰にあるか?」

    ・プロジェクトが決まるとチームを編成する。プロジェクトの規模によるが、基本的な編成はDirector 1人とArchitect 3人。Directorの役割は、予算やスケジュールをほかのメンバーに明確に伝え、日々管理するPM業。Architectは、3人のうち1人がチーフとなって、残り2人がそのサポートをする。

    ・デザインの進め方にルールやルーティンはないが、デザインの話をするとき、メンバーの口からは、「connect」という言葉が何度も何度も出てきた。

    ・プロジェクトに「誰をどうアサインするか?」「プロジェクトの最も大切なことは何か」「最終的に何を成し遂げるのか?」「この建築によってどんな世界をつくるか?」など、物理的、実需的な議論の前に、叶える世界とつくることの責任、そして誰と一緒にやるかを時間をかけて議論すること。それを「connect」と呼んでいた。

    ・デザインに関することのみならず、知財のconnect、未来へのconnect、責任のconnectなど、プロジェクトの周囲にある物事を洗いざらい予測して、徹底的に議論し尽くす。

    ・デザインの最終決定権は、もちろんSnøhettaのボスにある。しかし、例えば、ボスが「このデザインは好まない」と言っても、connectがあるおかげでボスとチームはconnectを中心に議論する。だから、すべてがひっくり返ることにはならない。

    ・日本の設計事務所では、トップの一声でデザインがひっくり返されることもよくあるが、Snøhettaではプロジェクトの根っこにあるconnectについてメンバー全員が理解しているから、そんな事は滅多に起きないそうだ。

    Q2/「Directorの役割は?」

    ・基本、DirectorはPM業務を兼ねる。

    ・スケジュール管理やコスト管理、クライアントのやりとり、そしてArchitectチームとの情報連携もDirectorの仕事。その良し悪しがプロジェクトの成否を決める重要なポストで、プロジェクト全体について手に取るように理解している高いスキルとリテラシーが求められる。

    ・優秀なDirectorは、一人で何プロジェクトも担当するといい、彼ら彼女らが持つ高いリテラシーフィルターを使い、その言葉が動力となってプロジェクトを前に進める。

    Q3/「プロジェクトの原価・設計や工事コストの管理は?」

    ・これもconnectが重要だという。最初に、絶対に譲れないコアを決めてコストを積算する。そして、残った予算をほかの要素に振り分ける。
    ・構造を見せたいプロジェクトでは構造にしっかりコストをかけ、仕上材のコストを落とすなど、ケースバイケースで判断する。

    Q4/「Snøhetta社員が共通して大切にしていることは?」

    ・「建築とデザインが持つ機会と責任」と答えてくれた。「いかに社会的にインパクトを生み出せるか、」「ウェルビーイングや自然との近さ」「建設および設計プロセス全般における健全で平等な労働」、そして、「責任ある建設や環境負荷の低減」「人と動植物が共存できる場の創造に挑み続けること」をチーム全員が大切にしているという。

    最後に、あらゆるポジションのメンバーがプロフェッショナルとしての自覚と責任を果たすこと。
    それが、いいチームの秘訣だと語ってくれた。

    なんとも腹落ちするコメントだった。
    やっぱりかっこいいぜ。レペゼンSnøhetta!

    そろそろお腹がいっぱいになってきているだろうが、今回訪ねたオスロの「物足りない街」で感じたこと。
    そして、Snøhettaのスタッフが答えてくれた4つの質問。

    それらを僕なりにまとめると、ノルウェーの人々にとっての「本質的な豊かさ」に辿り着く。

    ノルウェーは、国全体が「人」を中心とした仕組みで動いている(お金を稼ぐことや派手なパフォーマンスではなく)。

    とにかく税金や物価が高いのは事実で、ペットボトルの水が1本500円もする一方で、水道水は安全でどこでも飲める。娯楽の税金は高いが、本には税金がかからない。
    人が豊かな思考を学び、幸せになるための仕組みがそこにはあるのだ。

    レストランももれなく高いので、今回の旅でも外食はほぼせず、男4人で毎日自炊した。
    ノルウェー人も外食は1ヶ月1回程度。特別な時間を過ごすためという意識だそう。
    毎日のように夕食を外で食べるというと、「大丈夫?」と心配されるくらいだ。

    ノルウェー人にとっての理想のライフスタイルとは何か。
    それは、20代でファーストホームを持ち、40代でセカンドホームとボートを買う。
    そして、その場所で、家族や大切な人と少しでも多くの時間を過ごすこと。

    幸せの定義が明快で、僕らより遥か先の次元を行っていると思った。
    じゃあ、明日から、「僕も彼らのように振る舞えるか?」と問うと、それは難しい。

    ただ、そんな世界について、もう少し真剣に考えてみるのは悪くないと思った。

  • ノルウェー旅(前編)「Snøhettaを訪ねて」

    人生で2回目の、ノルウェー旅。
    10年前に訪れた時はとにかく建築を見てまわったが、今回はもう少し俯瞰して、ノルウェーの文化やライフスタイルを中心に観察した。

    緯度からも分かる通り、ノルウェーの夏はものすごく短い。
    日本では酷暑の9月でも、ノルウェーでは夜になると10℃近くまで下がる。
    毎日続く曇天と低い湿度のせいで、さらに肌寒く感じる。

    首都オスロの街の様子はというと……、とても地味な街である。

    石造りの建築が続くねずみ色の街並みに、商業的な看板はほとんどなく、スーパーやコンビニに入っても店内音楽はなく静かだ。
    あるのはゆっくりと流れる時間だけで、なんだかもの足りない。

    では、何がもの足りないのか?
    少し考えた結果、日本の街に比べて圧倒的に刺激が足りないと分かった。

    僕は東京と福島の2拠点で生活していて、9:1で東京にいる。
    東京の最新の情報や文化は日々目まぐるしく、僕はその波の中でビジネスをしている。
    高級なレストランで会食をすることも、かっこいいブランドのアウトドアギアを買って満足感を得ることもある。この街には、その手の刺激がまったくないのだ。

    語弊がないように説明するとオスロは人口70万人。ノルウェーで一番大きい都市だ。
    ノルウェーは、世界有数の石油・天然ガスの生産国で(年産約14億バレル)、欧州諸国を中心に輸出したり、豊富な水資源を利用して(国内電力の93%は水力発電らしい)電力をつくったり、その電力を活用した加工産業(アルミニウム、シリコン、化学肥料)が盛んである。

    2022年の国民1人当たりのGDPは106.328USドルで、日本の3倍以上。
    僕の目には、東京という都市の方が圧倒的にスピード感や刺激があるように映るが、GDPがそれほど高いことには驚いた。
    (参考/GLOBAL NOTE https://www.globalnote.jp/post-1339.html

    さて、今回の旅の目的である、ノルウェーを代表するArchitectチーム、
    「Snøhetta(スノヘッタ)」とのミーティングの話をしよう。
    Snøhettaは、同時に手掛けるプロジェクト数が優に70を超えるという、グローバルで超売れっ子アーキテクトであり、僕の大好きなチームでもある。

    日本の設計事務所、特にアトリエ系と言われる小規模事務所の勤務時間はいまだに、早朝から最終電車まで。
    クライアントプレゼン前は完徹も辞さないという文化が当たり前にはびこっている。
    世間で騒がれるブラック企業がゴロゴロいる業界で、最近はそんな悪習を毛嫌いする若者も増えているそうだ。

    もちろん、建築を設計し施工することはそれだけ難しく責任が重い仕事だが、はたしてSnøhettaではどうなのか。異常とも言える日本のこの建築事務所のエンドレスワークは、万国共通なのだろうか?

    答えは、Snøhettaで働くスタッフの週の残業時間は10時間程度。
    しかも、このレベルの残業時間が(たった!)2週間続くと、日本でいう労働基準局からレッドカードが出るらしい。
    毎年夏には5週間ほどのサマーバケーションをとるのが当たり前だという。
    なぜだ。なぜ、こんなにも違うのか?

    Snøhettaの建築よりもSnøhettaの働き方に興味が湧いて、僕は4つの質問をした。

    つづく

  • 名前を付けた日

    10年前。僕たちADXがまだ、「ライフスタイル工房」という名前だったころ。
    当時の社員5人でノルウェーへ旅した。

    目的は、野生のトナカイ観測所「Reindeer Pavilion」の建築を見ること。
    オスロの街でレンタカーを借りて、向かった。
    道中にはたくさんの湖に、岩肌が剥き出しの山々。
    ノルウェーの雄大な自然が迎えてくれた。

    直方体のReindeer Pavilionの外観は、土地に馴染むコールテン鋼というサビ材と、4面のうち1面はトナカイを見るための大きなガラス窓。
    内部には、木舟を加工するためのNCルーターで加工した有機的でアイコニックなベンチが、松の角材をベースにつくられている。

    周囲の自然と共生する、美しい建築の姿だった。
    「こんな建築をつくりたい」と強く思った。

    建築を手がけたのは「Snøhetta(スノーヘッタ)」。
    ノルウェー国内やヨーロッパに留まらず、世界中でプロジェクトを推進している建築チームだ。

    別々に設計されることが多かった建築とランドスケープを一緒に考えること。
    そして、異なる専門領域・文化・背景を持つメンバーが集うチームであることが特徴だ。
    さらに調べていると、Snøhettaという名前は、メンバーの地元、ノルウェーある山の名前にちなんで付けられていることが分かった。

    自然に溶け込むような、普遍的な建築をつくりたい。その思いを名前で表現する。
    帰国してすぐ、会社の名前を、「ADX」に改めた。
    僕らが常にオフィスからその姿を仰ぎ、大切にしている故郷の山、「安達太良山(ADATARA-YAMA)」にちなんで。

    10年経って、今週のこと。
    僕はSnøhettaとミーティングをするべくノルウェーを再訪した。
    最初のプレゼンテーションで、ADXの名前の由来を話した。
    拙い英語だったが、Snøhettaのメンバーは、「NICE!」と笑顔で言ってくれた。

    会社名もプロダクトの名前も、名前は誰かの願いそのもの。
    悩んだり迷った時、自分たちが進むべき道を見失いそうな時、原点を思い出させてくれる。

    僕は今日、誕生したばかりの新しい命に、名前を付けた。
    彼が生きる未来が、美しい自然に彩られたものでありますように。

  • 飯炊き半年

    「飯炊き3年、握り8年」

    寿司職人の下積み期間を表す有名な表現だが、建築業界もおおよそ同じような仕組みになっている。

    一人前の設計者になるには、10年近くの歳月を覚悟するものだ。

    多くの人々は、人間が創造する美しいデザインや都市、文化をつくるダイナミックな要素に魅了されて建築の世界を志すのだろう。

    しかし、つくづく建築は学ぶことが膨大だ。

    デザイン、法律、構造、設備、インフラ、クライアントとのコミュニケーション、プロジェクト管理、チームマネジメント……。

    例えば、「構造」だけ見ても、木造・鉄骨造・コンクリート造と、それぞれ独自のルールや建築手法に枝分かれする。

    習得すべき知識の量を先に知っていたなら、僕もほかの道を選んでいたかもしれないと思うほどだ。

    ADXでは最近、「飯炊き半年」というプログラムをつくろうとしている。

    木造建築だけ、しかも自然に配慮した建築だけに特化して学ぶことで、新人スタッフに10年もの修行を強いるのではなく、半年で知識と技術を会得できるようにする社内研修制度だ。

    この先、入社するスタッフに、この制度が代々受け継がれることで、木造の未来を担う建築人材が増えていくことにも期待している。

    寿司職人の業界では、「飯炊き3年、握り8年は時代遅れ」と言われて久しいそうだ。

    建築の世界も、追いつかなければならない。

  • 旅をすること

    今月、ノルウェーに行く。

    名建築を見に、自然を体験しに、以前は何かと理由をつけて、年に数回、海外を訪れていた。
    最後に行ったのはコロナが始まる前なので、いつの間にか3年以上経っている。

    すっかり旅支度のやり方を忘れてしまい、さっきからクローゼットの奥に追いやられたトラベルボックスを取り出したり、パスポートの期限を確認したりして、準備を急いでいる。

    言葉も文化も景色も日本とまったく異なる環境で味わう独特の緊張感や刺激は、旅を好む者なら誰もが体験したことがある感覚だろう。
    僕にとっての旅は、日常とは違うスイッチを強制的に作動させる仕掛けでもある。
    スイッチは別名、「無敵スイッチ」ともいう。

    一度このスイッチが入ると、ろくに話せない言語でも(僕の英語は小学生レベルだ)、お構いなしに現地の人に話しかけ、知らない土地の奥深くに探検しに行ってしまう。

    無敵スイッチのおかげで、世界各地でつくられる風土に合わせた建築の工夫や、資材の調達方法、そして、自然と共生する考えなどを次から次に質問してはイメージを膨らませ、新しいアイデアをインプットして帰ってくることができる。

    国が違えば考え方も違う。
    それでも共通するのは、自分が生まれ、暮らす土地の美しさや厳しさをリスペクトする心だ。

    世界中どこへ行っても、みんなが「この自然を次世代へつなぎたい」と願っている。
    そんな願いを持つ一人として、久々にノルウェーの大地を踏むことを楽しみにしている。

  • 8月最後の音楽

    中高生の頃からblack musicが好きで、未だに夜中にふと思い立ち、永遠に曲をディグってしまう。
    20代の頃は仲間とDJイベントを立ち上げて、仕事の合間に集まっては、東北のクラブで朝までいい曲を流し続けた。

    その頃も今も、Curtis Mayfield の「Tripping Out」やDonny Hathawayの「What’s Going On」が大好きだ。

    音楽は僕にとって最強のバディでもある。

    仕事が思い通りに進まなくて落ち込んでいる時にかける曲、アイデアを捻り出したい時の曲、大事なプレゼンの前に聴く曲と、シーン合わせたお決まりのプレイリストがある。
    それはまるで、現実世界と頭の中をチューニングするための儀式のようでもある。

    音楽の起源は諸説あるらしいが、病いや老い、天災、労働など、日々の暮らしの苦しみを和らげ、神仏に祈り、さまざまな思いを伝え、交わるための行為として始まったとも言われている。

    要するに、自然の威力や不可逆な時間など、人智を超えたものごととの折り合いをつけるために生まれたのだろう。

    先日、友人が営む酒蔵にお邪魔する機会があった。そこで教えてもらったのだが、酒造りにはその蔵独自の酒唄があり、麹を混ぜるときに必ず蔵人たちで歌うそうだ。
    酒唄の何小節まで歌えば100回混ぜて、全部歌い切ったら200回混ぜるという調子で、ある意味、酒造りの重要なレシピのひとつとなっている。
    神のなす術とされていた、酒造りの歴史を感じさせるエピソードだった。

    建築の世界でも、地鎮祭や上棟祭など神に祈りを捧げる儀式には、祝詞(のりと)と呼ばれる独特の音調とリズムの声明がある。
    ともあれ、音楽は時代を超えて人の生活に寄り添い続けていて、そんな音楽が僕は好きだ。

    晴れた今日は、8月最後の週末。
    さて、どんな曲をかけようか。

  • アイデアは自然の中に

    「これだ!」というアイデアは、そう生まれてこない。

    アイデアとは、課題を解決する手段だと僕は思う。
    1つの課題を解決する手段は無限に存在するが、どの手段で解決すると筋が良いかをふるいにかけて、数百ある手段を1つに絞っていくプロセスが必要だ。

    それはある種、筋トレみたいな感覚で、日々続けていないと衰えていく。
    筋トレと違うのは、負荷をかければかけるほど成果が出るわけではないところ。
    いざ本気でアイデアを出したい時には、できるだけ自分の思考を自由に羽ばたかせることが重要だ。

    僕の思考が最も自由になるのは、やはり森の中。
    つい最近も、白馬の森で幾重にも重なるシダの葉っぱを見て、フラクタル構造のヒントをもらった。
    現在開発中の建築プロダクトで、全体の形状を保ちながらサイズ展開する時に有効なアイデアだ。

    別の日、森をぐるぐると歩き回っている時に、傘が付いたどんぐりの実を手にとった。
    緩やかにカーブを描く傘と実が固定されている様は、キャビンの外壁工事に活かせそうだ。

    ADX社内でよく使うフレーズに、「答えは自然の中に」というものがある。
    ADXのメンバーは好んで現場に足を運び、その土地の木に触れ、山を登り、地球と対話しようする。

    会議室やオフィスで行う合理的な判断より、自然の中で得たインスピレーションこそが、 私たちの行き先を決めるアイデアにつながるのだ。

  • 山小屋をつくる

    「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という目的で、8月のカレンダーに「山の日」という祝日が加わったのは最近のこと。
    現在、日本には1000万人近くの登山人口がいるらしい。

    山に登る理由は、「ピークハント」「道中の景観を楽しむ」「トレーニング」など人それぞれだが、僕にとっては、「山小屋」の存在が大きい。

    日本の山小屋のほとんどは、山頂を目指す登山道の途中にある。
    登山客は、1日の山行で重くなった足を引きずって、吸い込まれるように山小屋に入る。
    そして、つかの間の休息を得て、翌日の登山の続きに向けて英気を養う。

    山小屋は、建築という視点でとても興味深い。
    立地や構造はもちろん、細かな設備まで、その山特有の風や雲の流れ、雪の積もり方など、四季を通じて過酷な自然環境に耐えられるように考え抜かれている。

    それでいて、立ち寄る人の心を癒すように、見晴らしのいい場所に食堂やベンチがあったりする。
    僕は大抵、山小屋に着くとそういうベンチを見つけて腰掛けては、その山小屋をつくった人に想いを馳せる。

    福島県の安達太良山(あだたらやま)に、「くろがね小屋」という名の山小屋がある。
    このくろがね小屋の建設に、祖父が大工として携わったという縁があり、子供の頃からこの山小屋に特別な感情を抱いていた。
    現在は休館しているが、改修を施して、2025年ごろに再オープンするそうだ。

    自分の理想の山小屋はどんな建築になるだろう――。
    そんなことをいつも考えていた。

    例えば、建物は完全オフグリット。
    汗だくの身体を流すシャワーも、水の循環システムがあれば遠慮なく使える。
    断熱や気圧も繊細にコントロールして、外がどんなに悪天候でも、安心して眠れる個室がある。

    レストランで出す名物料理は、万人の身体を温めてくれるポトフがいい。
    夜更けに明日の天気を語らうときにはウイスキーも相棒に。

    そして何より、何日も泊まれるようにしたい。
    大好きな人たちや子供たちと、ゆっくり同じ景色を見て過ごしたいのだ。

    さて、そんな山小屋をどこにつくろうか。
    これまで滞在してきた山小屋でも祖父がつくったくろがね小屋でもない、
    ADXの山小屋はどんな姿をしているだろう。
    できたら日本だけではなくて、海外にも。

    準備は着々と進んでいる。

  • 暑いぜ、夏!

    日本全国で猛暑が続いている。故郷の福島では、40℃を超えた地域もあったという。 体に堪える暑さにげんなりすることもあるが、僕は夏が好きだ。
    今年も昆虫採集の時期がやってきた。

    森のなかに「しかけ」をつくって一晩待つと、 クワガタやカミキリ虫など、山の住民が集まってくる。

    「しかけ」はいたって簡単。 バナナの皮と蜂蜜を合わせて数日発酵させたものを、くぬぎの木に塗るだけ。 翌日、早起きしてその場所へ向かう。

    虫たちの足の関節のつながりや羽の色、目の輝き、艶々のボディ。 圧倒的な美しさと不思議さが、少年時代から変わらず、僕の気持ちを奪い続けている。しばらく観察してから、標本にすることもある。

    最近、子供のころと比べて、昆虫の生息地が変わってきたと感じる。 つい先日、昔は九州で多く見られた蝶を、八ヶ岳の標高1100mの森で採取した。 九州では近年、インドや東南アジア、ニューギニアなどにいた熱帯性の蛾が、 大量発生しているらしい。

    ここ数年の夏の気温上昇によって、虫たちは民族大移動しているのかもしれない。 生き延びるために、生活圏を変えているのだ。

    さて、この暑さに、人間はどこまで耐えられるだろうか。
    東京は今日で16日連続の猛暑日だというが、 3年後には「30日連続猛暑日」というニュースが流れているかもしれない。

    気候変動への対策は、全地球人が取り組むべき目下の課題である。
    僕は今、マイナス30℃〜50℃まで、標高3000mにも耐えられる、 新しいキャビンを開発中だ。

  • コーラの炭酸を抜けなくする方法

    子供のころ、誰からも頼まれていないのに勝手に商品提案をしていた。
    自分なりに、身の回りの課題を解決しようと奮闘していた(今もそうだが・・・)。

    小学校の理科の先生が言った、
    「ワイパーをなくすアイデアと、風邪薬を開発したらノーベル賞がもらえるぞ」。
    その言葉がずっと忘れられないのだ。

    小学1年の夏、コカ・コーラ社に手紙を書いた。

    飲みかけのコーラを置いておくと炭酸が抜けてしまって嫌だった。
    しかし、開封前は炭酸が抜けないのはなぜか?
    その時、飲みかけと飲む前の空気の量が違うことに気付いて、空気を減らせば炭酸が抜けなくなるんじゃないかと考えた。

    ペットボトルの側面を谷折、山折し、飲んだ分、縮ませることで、飲みかけでも炭酸が抜けないペットボトルを発明した。

    発明が成功か失敗か分からぬまま、絵日記風の手紙をコカ・コーラ社に送ったら、その後、お礼の手紙とジュースが届いた。

    次に書いたのは、自動車会社宛ての手紙だった。
    ある日、親父とドライブしている時、前の車が急に停まって、衝突しそうになったときのことを鮮明に覚えている。

    気を取り直してドライブは続いたが、前の車のテールランプが赤く光るたびに、身体がこわばった。

    なぜ、普通のブレーキでも急ブレーキでも、テールランプは同じ光りかたをするんだろう?
    急ブレーキのときにはテールランプがパチパチと光れば、それが急ブレーキと分かって安全かもしれない。
    そんな発明を書いて、車メーカーに送ったのだ。

    いまだに、ふと、車のワイパーをなくす方法について考えてしまう。
    僕の頭の中には、無限のアイデアが溢れている。

  • ある日、家がつくれなくなった

    「自宅を設計してくれませんか」
    有難いことに、ADXの問い合わせフォームには頻繁にこんなメッセージを頂く。
    人生で一番大きな買い物ともいわれる住宅を僕らに任せてくださる心意気に、いつも心から感謝するのだが、申し訳ないなと思いながら、ほとんどすべての依頼をお断りしている。

    なぜなら僕は、数年前から、「家がつくれない病」に悩まされているからだ。

    親父の後を継いで20年以上。
    人生の大部分を、家づくりに費やしてきた。
    地元東北を中心に、これまで設計・施工した住宅は200件ほど。
    提案プランも含めると、軽く1000以上のプランをつくってきた。

    そのほとんどが、お施主さんと家族にとって「一生に一度の家づくり」で、一家の夢を詰め込んだマイホームだ。

    僕らは毎回、デザイン、つくり方、ランドスケープまでこだわりにこだわって、その想いに応えてきたと自負している。
    完成の度に開催していたオープンハウス(見学会)には、100名以上に来場いただくこともあった。

    でも、その間も、「家がつくれない病」はじわじわと進行していた。

    工務店の仕事は、新築を建てることが大部分のように思われているが、実は、建てた後のメンテナンスの方が圧倒的に多い。
    定期点検のほか、不具合が起きればできるだけ早く駆けつけて、原因を見つけて修繕する。

    木造建築を扱うADXの仕事には、木の反りや歪みといった経年変化が付きもので、お施主さんとは、長い長いお付き合いをしている。

    僕は工務店の3代目なので、自分がつくった建築だけではなく、祖父や父が手掛けた住宅のメンテナンスにも行く。

    すると、子供たちが巣立って使われなくなった子供部屋は、大抵がらんとして、荷物置きになっている。
    それならまだいい方で、家自体に誰も寄りつかなくなり、いつの間にか近所で「ゴミ屋敷」と揶揄される空き家になっていることもある。

    あれだけエネルギーを掛けて、夢や希望を形にしたマイホームも、たった30〜40年ほどでゴミ同然になる。ものすごく悲しいが、それが現実だ。
    さらに辛いのは、建材に使う木々は樹齢60年以上のものがほとんど。60年以上生きてきた貴重な木が、人間の都合で短命に終わる……。胸が痛む。

    そんなことを考え、日々悶々とし、ついに、「家がつくれない病」になった。

    でもきっと、これは不治の病ではない。
    問題は、建築のほうにある。

    人生の時々に合わせた広さや間取りに、柔軟に寄り添えないか。
    建築がぐにゃぐにゃと形を変え、暮らしに追随できたらどんなにいいだろう。
    そして、家としての役目を終えるころには、そこで使われた材料に次の役割をつくり出せないだろうか。

    僕は今、フレキシブルに形を変える建築、そして、そこに使っている木が2次流通して、繰り返し使える仕組みづくりに挑戦している。

    まだまだ先は長そうだが、また、家づくりを楽しめる日が来ることを願っている。

  • 人生の研究テーマ

    定期的に開催している「たわいもない話をする会」で、 僕の半分くらいの歳の彼に出会った。

    「僕、シャイなんです……」。

    そんな言葉とは裏腹に、彼のマシンガントークが炸裂した。
    MITにいたときの研究の話や今の活動の話など、 ジャンルは幅広く一貫性がないようにも思えたが、 彼は学問というジャンルで活動しているのではなかった。 自分がワクワクする領域で、まるでゲームを攻略するように、 楽しみながらさまざまな課題を解決しているのだ。

    学生のころの僕は、日々、誰にも頼まれていないことを研究しては興奮していた。 しかし、最近、仕事以外の研究をあまりしなくなっていることに気付かされた。

    彼と話をして僕も、RPGのように楽しむことができる、 仕事以外の、「人生の研究テーマ」を探そうと思った。

  • 東北弁と奄美大島

    変わったのは僕のほうかもしれない。

    数年ぶりに、母が東京にやって来た。
    都会の景色に圧倒されながら、気持ちも入ったのか深く頷いてこう言った。
    「あんた、えらいどこでやっでんだ〜」

    そんな母の一言を聞いて、うれしい気持ちとともに孤独感もあった。

    学生のころによく真似されていた東北弁は、いつの間にか使わなくなった。
    圧倒的な都市のエネルギーの渦の中で、ずっと話してきた方言があっと言う間に消えてしまったのだ。
    僕は都会の色に染まったのか? 染まりたかったのか?

    母と同じ場所にいなくなっていたことに改めて気付かされて、無性に寂しさを感じたのだ。

    きっと、同じことが自然界でも起きている。

    1979年に、北海道でペットとして飼われていた10頭ほどのアライグマが脱走した。
    北アメリカ原産のアライグマは、経度が近い北海道の酪農地帯で大繁殖し、
    アオサギの営巣地の消滅など、森の生態系に強烈なインパクトを与えた。
    数は年々増えて、道内全域で目撃されるようになった今では駆除が必要なほどだという。

    地域には地域の言葉があり、地域の生態系がある。
    でもそれは、ものすごく繊細なバランスで成り立っている営みで、ちょっとしたことがきっかけで、簡単に消えてなくなってしまう。

    奄美大島で新しい建築プロジェクトが始まった。
    奄美大島はその独自の生態系が評価され世界自然遺産にも登録されている。
    そんな場所に建築をつくることの責任の大きさは、計りしれない。

    「がんばっぺ」

    この豊かな森と海を前に、覚悟を新たにするのだった。

  • 本のような一生

    日々生活していると、色々な出来事がある。
    楽しいこともつらいことも、人生には付きものだ。
    でも、つらいことはしんどいし、できれば避けたいと思う。
    避けられないことも、当然ある。

    だから僕は、小さいころから、こう考えるようにしている。
    もし、自分の伝記が出版されたらどんな内容になるだろう?

    小さいころ図書館に行き、いろんな人たちの伝記を読んだ。
    そこには、まるで映画のようなストーリーが広がっていた。
    楽しいこともつらいこともある、波乱万丈の物語が僕を夢中にさせた。

    僕の伝記はどれだけおもしろく、そして厚い本になるだろうか?
    楽しいこともつらいことも、どちらもその分、ページを増やしてくれる。
    おもしろくて分厚い本みたいな人生を歩みたい。

  • 4700年

    人の寿命は80年程度。
    だから、ほとんどの人はそれくらいの時間軸でものごとを考える。

    この80年という時間は、ほかの生物と比べて長いこともあるし、もちろん短いこともある。

    ホッキョククジラやメスのシャチは、人と同程度。
    カメやチョウザメは、種類によっては100年以上生きることがある。
    おいしいウニも、環境によっては200年近く生きるそうだ。

    アメリカのカリフォルニア州にあるインヨー国立森林公園内の、イガゴヨウマツ(Pinus longaeva、ブリスルコーンパイン)は桁違い。
    世界最長寿の木と言われ、樹齢4700年以上だとか。

    寿命の長さが異なるということは、それぞれ、異なる時間の流れを持っている(はずだ)。
    ときには、海や陸の生物が持つ時間の尺度やリズムに身を委ね、4700年という単位でものごとを捉えてみる。

    きっと、もっと深い観察と理解が可能になる。

  • 薄型ペットボトル

    水筒派の僕はときどき、朝、水を入れた水筒を机の飾りにしてそのまま出掛けてしまう。
    今、目の前にあるキンキンに冷やされたペットボトルは、さっき冷蔵庫から出したばかり。

    梅雨のもわっとした空気に包まれた事務所の中で、液体にも個体にも変わる水が入ったペットボトルが、自分のポジションを調整している。

    地上では凛とした佇まいのペットボトルも、山頂では、釣り上げられたばかりのフグのような姿に変わる。
    空気と水の間で、収縮したり膨張したり、葛藤している。

    最近の環境配慮デザインの薄型ペットボトルは、使い終わった後は簡単につぶせて1/6まで小さくなる。
    そして、リサイクルされてまた新しい姿に生まれ変わる。
    開発者は何年かけて、このペットボトルを完成させたのだろうか。

    水筒を忘れてたまたま目の前にあるペットボトルが、僕を夢中にさせてくれる。

  • 共生する家、循環する森

    スピードが優先される現代に、自然の時間軸に任せてみるのもよいのではないだろうか。
    本来、家づくりは自然との対話の中でゆっくりと進められてきたはずだ。
    そう考えたことから、2017年、〈One year project〉は始まった。

    木の伐倒から製材、加工、組立までに1 年をかける。
    樹齢80年、直径40㎝前後の木120本を使い、木の持ち味や表情を生かす。
    2018年、磐梯山のふもとに、2棟の間に橋を架けた別荘が完成した。

    物件の引き渡しが完成ではなく、使った分の木を植樹し、敷地に同じ種類の木を植え、森を循環させる。

    6年前に完成したこの建築を、2023年春、ADXのスタッフみんなで訪れた。

    当時植えた木々は成長し、基礎をコンクリートで固めず、そのまま残した土の部分には、建物に寄り添うように植物が戻っていた。

    自然と建築は、共生する。
    あの時信じた景色がそこにはあった。

  • ハチの社会改革

    ハチの社会では女王蜂が中心となり、雄蜂や働き蜂が組織的に働きます。
    階級制度を持つ各々が役割を果たすことで、社会を安定させています。
    もし、環境の変化によって食料や巣が脅かされた場合、ハチの社会は素早く変化し、新たな対策を見出すことで生き残るのです。

    人間の社会も、ハチの社会に学ぶべきことが多くあります。
    社会は、時代に応じて構造や制度を変えなければなりません。
    社会の変革は、個人や組織、さらには文化や価値観にも影響を与えます。
    個人も多くを捨て、新たな形に変化する必要があります。

    自己変革や学びの姿勢を持ちながら、新たなアイデアや技術を柔軟に取り入れること。
    社会の変革に対する意識を高め、持続可能な未来を共に築いていくのです。
    私たち自身も、社会の変革に参加することが求められます。

    未知の地平に進む勇気を持ち、社会の変革の潮流に身を委ねましょう。
    変化の中にこそ、社会の持続と発展の鍵がある。
    新たな探求をしながら、豊かで持続可能な社会を築く旅に出かけましょう。

  • 森とAI

    時間があれば山に出かけ、森の観察を楽しんでいます。
    知人を森に案内し、食べられる木や漢方になる植物、恐ろしい毒がある植物について話し、森の魅力を伝えることもあります。

    森に入るようになったきっかけはいくつかありますが、特に父と山菜取りに行ったときの記憶が、鮮明に残っています。
    一見同じような緑の葉っぱたちが父のスキャニング能力で瞬時に種別され、残った葉っぱたちが次々と、竹細工のカゴに投入されていきます。

    夜、コゴミやコシアブラや豆ダンゴ(福島のトリュフ)などが食卓に並び、おいしく食べることができました。

    最近では、テクノロジーも森に誘導してくれます。
    例えば、自分の健康状態を確認できるウェアラブルデバイス。
    そのデータを元に、適切な森をおすすめしてくれるシステムがあります。
    森に生息する動植物のデータをAIで解析することで、自分の健康状態に適した森をマッチングしてくれるのです。

    さらに、その森に生息する草花を採って、自分のための生薬をつくり出すこともできます。

    さまざまな種類の草花を集めて調合するという、「Pokémon GO」の森版のような楽しみ方が生まれるかもしれません。

    森とAIがコミュニケーションすることで、これまでと異なる森の景色、森の体験を得られるようになります。

  • bio(生物)からの依頼

    設計の仕事は大抵、クライアントから頼まれる。
    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。

    「bio house」(生物多様性の家)は、建物が生態系を支え、人々が自然と調和した生活を送ることができる場所だ。

    設計は、その土地の生態系の調査から始まる。
    外壁や屋上に緑化を施し、さまざまな植物が生育できる環境を提供する。
    そこに鳥や昆虫が集まり、生態系が息づく。

    同時に、周辺の土地の生物多様性の保護と回復を目指す。
    池や湿地をつくり水辺の生態系を再生し、緑地や公園を整備することで、生物の移動経路や生活の場を確保する。

    環境配慮も忘れず、持続可能なエネルギーを利用し、無害な建築材料を選択する。
    環境への影響を最小限に抑えながら、生物多様性の促進をデザインする。
    僕たちの仕事は、建物をつくることではなく、bio houseをつくって自然との共存を実現することだ。

    最近は、bio(生物)からの依頼が多い。
    もちろん本当に頼まれるわけではないが、啓示のように、自然界の声が聞こえてくる。

  • 建築家と冒険家

    小さい頃から夢見ていたのは冒険家。
    見たことのない風景。未知の領域へ足を踏み入れる興奮。
    本やテレビを伝って立ち上がるワクワク感がたまらなかった。

    今は建築家として、木や森といかにして共存していけるかに挑戦している。
    その過程でまだ見ぬ素材や構造を発見することも多く、そんな時、小さい頃と同じようにワクワクする。

    新しい世界を創り出す建築家としての毎日は、私にとって冒険なのかもしれない。

    新たな目標に向かって進む日々が、私を冒険家にしてくれる。

  • 海が塩辛いのはなぜ?

    幼いころ、内陸に住む僕にとって海は特別な存在でした。
    父と海水浴に出かけるたび、水平線の向こうに、壮大な世界の広がりを感じていました。

    「水はどこからやって来るんだろう?」
    「塩辛いのはなぜ?」
    「魚たちはどうやって息をしているの?」
    「波は何を伝えているの?」

    帰りの車で、父にたくさんの質問を投げかけました。
    父は困ったような表情を浮かべながら、本屋に連れて行ってくれました。

    青い海の風景は僕に問いを投げかけ、大きな海の鼓動は今も、僕の探究心に火をつけるのです。

  • 木を使う2つの理由

    僕が木を使う理由は2つある。
    1つ目は、実家が工務店を営んでいたこともあり、子供のころから木は遊び道具で、慣れ親しんだ空気のような存在だったから。

    2つ目は、建築でストラクチャーになる材料が「鉄」「コンクリート」「木」で、この中で唯一育てることができるのが木だから。

    時間はかかるが、60年も育てれば立派な木になって建築材料として使える。
    コンスタントに育てれば共存できる唯一の素材だと感じた瞬間から、僕は木を選ぶようになった。

  • 一流シェフ

    一流シェフの気持ちで、年に数回料理する。

    料理が出てくる映画を見たあとや、たまたま行ったスーパーでいい食材を見つけた時。
    友人が遊びに来る時や、友人が料理つくれる自慢をした時。
    時々突然、料理魂が目を覚ます。

    味は一流ではないかもしれないが、
    素材選びや出来上がるまでの時間、
    お腹を満たすという意味では超一流かもしれない。
    いつも、得体の知れない料理が誕生する。

    もし興味があれば、メッセンジャーなどで声をかけてください。
    ーー得体の知れない料理家より。

  • 森のカルテ

    「森のカルテ」というプロジェクトでは、森の健康状態を把握するために木々の種類やサイズなどのデータを収集し、土壌中の環境DNAを解析することで、森の状態を立体的に可視化している。

    この取り組みの目的は、森林保全への関心を高め、森林のポテンシャルや素晴らしさを伝えることにある。

    森林が持つ豊かな生命の息吹に触れ、心に刻むことで、共存するための道を模索し、新たな未来に歩んでいくことができる。

    これからも僕たちは、森林資源の保護、管理に全力を傾け、持続可能な未来を築くために、着実に歩みを進めていきます。

  • 小心者

    「信じられない」と言われるかもしれないけど、僕は最近まで、1人で飲食店に行けなかった。

    そんな僕が1人で行ける店がある。
    その店はカウンターづくりである。
    カウンターになんとなく安心するのか、店主と話せるからか、緊張せずに食べられる。

    「なんで?」と聞かれれば、多分小心者だからだと答える。
    今日もバスを降りる時、ボタンを押せなかったほどだ。

  • アリの行進

    週末の高速道路渋滞には長年うんざりさせられている人も多いだろう。
    長時間狭い車中に閉じ込められ、じわりじわりとしか進まない状況に、苛立ちや不快感を覚えることもある。そして、この渋滞の先頭は誰かと問われたら答えられない。

    しかし、高速道路の車と同じように列になるアリたちの行列には「渋滞」が発生することがない。観察するのが趣味な僕にとって、アリたちの行進も大好物である。 不思議なことに、アリたちは行進をしているにもかかわらず、渋滞をしていない。彼らは一定のスピードで前進し、行儀よく目的地に移動している。

    このアリたちの行進は、人類にとってのヒントになるかもしれないな。

  • 料理人みたいな建築家

    「Farm to table」のように、農場から食卓まで、顔が見える建築をつくりたい。
    自然の素材を使い、今、旬な最高のアイデアでレシピをつくる。

    森には、建築に必要なたくさんの素材やヒントがある。
    木は柱や家具に、草木は塗料に、大地は水や空気を綺麗にしてくれる装置になる。

    レシピをつくるだけでなく、自分たちで料理もする。
    旬なアイデアは、レシピに落とすだけでは実現しないから。

    「Forest to building」。森から建物へ。
    料理みたいな建築。料理人みたいな建築家。

  • 自然と人が共存する未来のために、僕は木を選んだ

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。足跡は消せない、消えない……。
    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築と人

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    共存する素材

    僕が設計する建築は、気づくと木が存在する。木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年も育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に必要な材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちっと育てれば、共存できる存在だと思ったからこそ、僕は木を選んだ。

    自由な建築

    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう? 家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい……。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    共存の世界

    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。
    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    さあ、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。

  • 景色

    建築が主役ではなく、そこに訪れるきっかけをデザインすること。

    まったく同じ建築でも、窓からの景色が変われば高揚感を抱ける。

    景色は、日々変化し、時を知らせてくれる。
    建築という、景色を写し出す装置をつくり出している。

  • 登山

    山を登るのが好きだ。きっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも「そろそろ登っておいで」と、誘ってくれていた。

    自分の足で登り、たどり着いた景色を目に焼き付け、心と対峙できる時別な場所。
    疲労感や達成感が混じって、より美しく見える。

    世の中には経験しないと分からないことが沢山あるが、登山もその一つだと思う。

  • 意味と価値

    フェラーリやランボルギーニは2人しか乗れないし、荷物もあまり載せられず、燃費も悪い。移動手段としてはあまり役に立たない。

    でも、高額で売っているし、高額で買う人がいる。

    「機能」ではなく、ブランドや所有する喜びといった「意味」が価値になっている。
    「意味」はデザインやテクノロジーと違って、コピーされないから強い。

  • デザインすること

    美しいものに人は感動するし人は集まる。

    内なる思想も外への言葉も、表現を伝えるには必要だが、それだけではつまらない。

    だから、美しいものをデザインする。

  • 小さい地球のような建築

    小さい頃に憧れた「ISS(国際宇宙ステーション)」は、今もとても好きな建築。

    物資はもちろん、地球から運び出したものだけど、水も電気も空気もない宇宙で、自給自足している。

    建築はもともと、人を、寒さや外敵から守ってくれる装置だった。
    安全から始まったその役割は快適や、単なる金儲けにも変わってきている。

    未知なる場所に、安全に滞在できる生命維持装置。
    自給自足を可能にする小さい地球のようなISSは、人類が作り出した最先端のテクノロジー建築だと思う。

  • 「知識」と「知恵」

    昔から勉強があまり得意ではなく、知識を増やすよりも、知恵を絞るほうが好きだ。
    もちろん知識も必要だが、使えない知識ならいらない。

    何かをつくり出すには、知識を引き出す知恵が必要なのだ。

  • 100年先の未来

    未来について話す時、どのくらい先の、未来の話をする?

    明日? 1週間? 半年先? 1年先?

    僕は100年先の話をします。
    それは木がちょうどいい大きさに育つ時間だから。

    目下の課題は「100年先の森をつくること」。
    森は100年かけないとつくれない。
    自分がいない未来のことも、ちゃんと考えておく。

  • 紫陽花

    紫陽花は、土が酸性かアルカリ性かで花の色が決まるという。
    綺麗な紫陽花だと思って植え付けても、そうでもなかったり、反対に、植えてみたら思いがけず綺麗だったということもある。

    僕は、その「土」のような人になりたい。
    僕は、周りをどんな色にできるだろうか?

  • 山の景色

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。
    そんな時、「このまましばらくここに留まろう」とか「時間が止まってほしい」とさえ思う。

    しかし、雲は流れ、日はかげり、冷たい風も吹く。
    絵画のように完璧だった景色も、気がつけば移ろっている。

    山の景色は感動を与えてくれながら、自然の厳しさを教えてくれる。
    山はそんなに甘えさせてくれない。

    それが、僕がいつまでも登山に夢中になる理由だと思う。

  • 主役

    建築をつくる時に考えることは建築が主役にならないこと。
    これはデザインだけの話ではない。材料もそうだ。

    自然の中に建築をつくる。
    できるだけその生態系に存在する材料で。
    そして、使った量の材料を育てる。

    吹いている風や流れる雨水も大切な資源で、建築はそれを分断してはいけない。
    建築を主役にするから分断してしまう。

    次世代に資源を残す。
    資源として残すか、ゴミとして残すか。

    未来に何を残すか?

  • ルート

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、どの山にも、そのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものを選ぶ。
    天気予報を見て、風と雨の行方を知る。そして、ルートを自分で決める。

    どの季節にどんな景色を見ながら、誰と登るか。
    気分に合わせて、自由に特別な時間をデザインできる。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、平和な都市生活の中でぼんやりしている「本能」が呼び覚まされる。

  • 無駄

    合理的に考えれば建築は四角いほうが効率はいいが、空間に無駄をつくる。

    SANU CABINの室内の局面壁は、幅はぎ材に裏表両面からスリットを入れ捻ることによって、美しい三次曲面をつくり出している。

    原理は襖や障子のようにケンドン式で簡単だが、捻ることで生まれる合力や、滑らかな佇まい、開口を設けることによって居場所ができる。

    無駄に意味を持たせることもできるし、無駄にこそ美しさが存在する。

  • 山小屋

    山に安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本の山小屋の歴史は、霊山に登って修行する行人(あんじゃ)の「室」や「坊」が始まりと言われている(諸説ある)。

    現存する日本最古の山小屋は、登拝者(とはいしゃ)向けの宿泊施設であった富山県立山の室堂小屋(むろどうこや)だ。

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋をつくりたい。
    自然と共生できるデザインやつくり方、山の恵みを循環させるエネルギー計画。
    そして、そこに人々が楽しく滞在できるファンクション。

    都市の建築とはまったく違う知識や技術が必要で、だからこそADXの仲間と成し遂げたい、大きな夢だ。

  • 寿命

    建築の寿命は長いが、我々が携わる時間は、建築の寿命に比べてとても短い。

    時間が経つにつれて、つくる時のエネルギーと比べて、建築にかけるエネルギーは大幅に、急激に減っていく。

    結果として、建築は短命に終わることにもなる。
    建築とは未来をつくるものであるにもかかわらず。そうなっている。

  • カブトムシ

    大きな体で大地をブンブン飛び回ることも素晴らしいが、自然の中に住んでいるのにいつもピカピカのボディ。
    あの性質をクルマや建築に使えたらいつもピカピカでいいだろうな。

    バイオフィリックデザイン。

    森を歩くと色々な生き物に出会う。
    いつも僕を驚かせてくれる。

  • 趣味

    趣味はなんですか?
    と聞かれたら真っ先に登山と答えてしまう。

    でも、登山は、僕にとって趣味とは少し違う位置付けにある。
    修行? 試練? それとも?

    日々刺激を受けたものごとを受けて、一歩一歩山を登り、自分の中に落とし込んでいく。
    思考を整理する場所や方法みたいなものでもある。

    今月もたくさんの刺激を頂いたので、ちょっと山まで行こうと思う。

  • 挨拶

    山頂に向かうにつれて移り変わる景色を楽しんでいると、山登り中の見知らぬ人とすれ違いざまに挨拶をする。挨拶している。

    都会にいると、しないのに、山にいると自然としてしまうのはなぜだろう?

    そこには、都市にあるような、目まぐるしくて膨大な情報は落ちてないけれど、縄張りもなければ、渋滞もない(渋滞する山には登りません)。

    みんなの目的がひとつだから思考もシンプル。
    山にはちょうどいい距離感がある。

    それも山のいいところだ。

  • 資源をつなぐ

    建築物は一般的に数十年の耐久性を持つが、その寿命を全うできずに終わることの方が多いだろう。建築が短命に終わる理由は、デザインのトレンドであったり、ビジネスの環境変化による用途の盛衰、家族が巣立ったりと様々だ。建築とは時代を象徴する物差しであるとも言える。我々建築に携わる者はそんなことに目をつむって、ひとつひとつの要件や具体的な欲求に応じて、相当なエネルギーと知恵をかけて、最も適した建築を生み出す。

    SANU CABINは、同じものを作り続ける建築である。もちろん1棟つくる毎に発見や学びがあり、設計・施工の細やかなアップデートは付きものだが、利用者にとって見える範囲では基本的に「同じ形のキャビン」だ。いつも同じ場所にある電気のスイッチや食器は、通い慣れた第2の我が家である安心感と居心地の良さをもたらす。そして、建築が主役にならないからこそ、窓の先の景色の変化に敏感になる。キャビンの特徴でもある局面壁は、幅はぎ材を両面からスリットを入れ“ひねる”ことによって美しい三次局面を作り出した。その滑らかな曲線に導かれて、窓の外の自然へ目を向ける時間を意図的に増やしている。

     

     

    SANU CABINは現在長野県・白樺湖と山梨県・八ヶ岳に完成しているが、これから日本中の自然豊かな場所に展開していく計画である。このキャビンが各地の美しい景色を写し出す装置として機能していくことを期待している。

    この“同じものつくる”という発想、そして、“建築が主役にならないこと”は現代建築において必要な考えなのかもしれないと考えている。調達、設計・施工、運用、そして移設や解体という建築のライフサイクル全体を通して、自然の時間軸にこちら側が合わせる。そして必ず訪れる建築物の終焉を内包して計画する。今日出来上がった建築をどのような形で未来の世代に渡すのか。ゴミとして残すのか、資源として残すのか。

     

    Photo by Timothée Lambrecq

  •  

    僕は山を登るのが好きだ。

    好きになったきっかけは正直覚えてない。

    ただ、福島のオフィスの窓の先には四季折々の山々があり、いつも彼から誘ってくれていた。そろそろ登っておいで、と。

     

     

    世の中には経験しないと分からないことは沢山あるが、登山の魅力もその一つだと思う。

    山頂を目指すことだけが山登りではないとよく言われるが、仮に山頂を一つのゴールとすれば、ほとんどすべての山にはそのゴールに向けていくつもの登り方、アプローチがある。季節や景色はもちろん、誰と登るか、どんな気分かに合わせてコースを選べば、何とも自由で特別な時間をデザインできる。

     

    天気予報を見て、風と雨の行方を知ること。

    用途に合わせてバックパックに詰めるものたち、そして、自分で決めるルート。

    起こりうる未来を想像して準備をする過程から、普段平和な都市生活の中でぼんやりしている“本能“が呼び起こされる。

     

     

    山では信じがたいほど美しい景色に出会うことがある。そんな時僕は、このまましばらくここに留まろうか、いっそ時間が止まってほしいとさえ思う。つまり、欲が出てくる。しかし山はそれほど甘えさせてくれないものだ。

    雲が流れ、日が翳り、冷たい風も吹く。絵画のように完璧だった景色もすぐに移りゆく。山の景色は、感動を与えてくれながらまた、自然の厳しさも教えてくれる。

     

    それがまた山の魅力であり、僕がいつまでも登山に夢中になる理由なのだろう。

     

     

    さて、僕たちが安全に登るための装置として山小屋がある。

    日本における山小屋の歴史は、霊山に登って修行する禅定者の「室」や「坊」が宿泊施設が始まりと言われている(諸説あるようだが)。現存最古の山小屋建築も、登拝者向けの宿泊施設であった館山の室堂小屋である。

     

    僕はたくさんの人に山の魅力を伝えるために、山小屋を作りたい。

    自然と共生できるデザインや作り方、山の恵みを循環させるエネルギー計画、そしてそこに人が楽しく滞在できるファンクション。都市で建築を作るのとは全く違う知識や技術が必要だからこそ、ADXの仲間と成し遂げたい夢だ。

     

     

    さあ、もうすぐ2022年がやってくる。

    また新しい山にアタックしよう。

     

  • 引越し

    ADX Tokyo office、引越しました。
    日本橋小舟町の堀留児童公園に隣接した築38年のオフィスビルを一棟リノベーション、「SOIL NIHONBASHI」として再生。グランドデザイン及び施工パートナーとしてこのプロジェクトに参画しながら、Insitu Japanと共に4階フロアに入居します。隣の部屋はSanu。
    オフィス移転を機にスタッフ一同、気持ちを新たに、「森と生きる。」の表現に取り組みます。
  • 森と繋がるSANU CABIN

    そよそよと風に揺られる木々、光を反射して輝く湖。自然に溶け込むSANU CABINは、現在年間100棟を目標に建築を進めている。ただ、考えてみてほしい。「建築をつくること」は、地球温暖化の大きな要因のひとつだ。あるリサーチによれば、建物の建設と運用は世界のエネルギー使用量の約35%、エネルギーに関連する CO2 排出量の約40%を占めているという。これではSANUが掲げている「Live with nature.」というコンセプトは矛盾に終わる。だからこそSANU、そしてADXは、この難しいチャレンジに本気で向き合ってきた。

    _その土地の生態系を守りながら、自然の中に建築をつくる

    最初のSANU CABINは白樺湖・八ヶ岳に完成し、これから各地に増やしていく計画だ。キャビンの建設が予定されている土地はどこも美しく、自然の中で生活を営む喜びを味わうことができる。

    今回、建築のあり方から「Live with nature.」を表現するため、2nd Homeとしてのデザインと快適性を充実させながらも環境負荷を最小限にするさまざまな工夫を施した。まず基礎部分に関しての工夫から紹介したい。「キャビンが地面から浮いている」ことにお気付きの方も多いかと思うが、従来の別荘開発では、敷地の木を切り倒し土を削る大規模な造成や大量のコンクリートを使った基礎工事など、建物をつくる土台を整える時点ですでに周辺環境への負荷が大きいことが課題であった。

    そこで、SANU CABINでは木の伐採や地形の変化を最小限にするようキャビンを配置、​​傾斜の大きい山地でも最大傾斜30°まで対応できる独自の”杭打ちマシーン”を開発し、コンクリートは一切使わずに高床式の杭工法を採用した。これにより元来流れていた風を止めることなく、大きな木のそばで守られていた草木や小動物の住処も損なわない。土の成分への影響も最低限となる。そうして、場所の生態系を壊すことなくキャビンを建てることができる。地中に杭が深く固定されることで横風や積雪にも耐えられ、人間にとっても自然の中で安全に過ごせる場所となる。

    人が自然と共にあるための建築を実現するには、人間中心ではない視点でその土地を見つめることが重要だ。

     

    _森と繋がるサプライチェーンから考える

    次に、キャビンの構造を支える素材には、100%国産の木材を使用している。一般的に構造に使われる素材には鉄やコンクリートという選択肢もあるが、僕が思うに”木”は最もサステナブルな建材だ。植林して育てれば60〜100年後には建築に使えるほどに成長し、唯一人と共存できる素材だと考えている。さらに言えば、調達・施工・解体・廃棄のライフサイクルを通しての CO2 排出量も、鉄やコンクリートに比べて圧倒的に少ない。

    SANU CABINでは、時が経ちキャビンを解体したときにもまた新しい用途でリサイクルできるよう、極力接着剤や釘を使わない工法で木を使用している。必要になれば、キャビンをまるごとバラして移設することだってできてしまう。大人のプラモデルというと近いかもしれない。

    ではその木はどこからくるのかというと、岩手県釜石の森。釜石地方森林組合との協業で、サプライチェーンを構築した。SANUからは事業計画を、ADXからは使用する木材の量、加工情報や施工スケジュールを事前に提供することで、森では原木伐採から計画的に取り組むことができる。直接やりとりすることで、林業や製材に関わる人々と、設計・施工者、そしてサービス運営者であるSANUが繋がる。顔が見える関係性で想いを紡いでいくこともまた、新しい取り組みだ。

    “使う分だけ伐採する”、将来的には“使う分だけ育てる”など、キャビンを作れば作るほど自然環境にとってプラスの影響を生むことができるリジェネラティブな建築を生み出そうと取り組んでいる。

    _自然と人とが共生する未来に向けて

    建築は使い捨てではない。僕ら建築に関わる人間が想像力をはたらかせ、地球上にある有限の資源をどこからどう使い、どのように次のステージを用意するかを示さねばならない。SANUを通じて、ただキャビンをつくるのではなく、次世代につづく持続可能な建築の未来をつくっている。本番はこれからだ。

  • 建築と人

    人間は未開の地の開拓に汗を流し、発見という喜びと同時に地球を知り過ぎた。
    足跡は消せない、消えない……。

    そろそろ、踏み入れた土地から離れても良い時が来たと思う。

    そう、離れるなら訪れた時と同じ世界に戻して離れよう。
    それがもし出来ないなら、しっかりと共存をするしかない。

    建築は元々、寒さや外敵から身を守る存在だった。進化の途中で身を守る存在から快適な空間に変わり、いつしかお金を生む道具に変わっていった。 もしかすると、建築の本質を見失っているのかもしれない。

    _共存する素材
    僕が設計する建築は、必ず木が存在する。
    木を使う理由は2つある。
    1つ目は実家が工務店を営んでいたこともあり、子供の頃から木は遊び道具で、身近な存在だったこと。2つ目はいろんな角度から建築を見た時に、木の存在がかかせなくなったこと。建築は、永続的に人の手が入らないといけないものだ。放置してしまうと腐敗して死んでしまう。だから生き続ける建築を作る。木を育てる事は時間がかかるが、60年育てれば立派な木になり建築材料として使える。そして、建築に使われる材料の中で、唯一人間と共存できるのが木だと思う。日本にはたくさんの自然資源がある。ただ、人間が作った自然は誰かの手を差し伸べてあげないと、その自然は崩壊してしまう。だからこそ、木を抜倒して、新しい木を植えるという循環サイクルを保つ必要がある。自然と共に歩き共存し育っていくこと、きちんと育てれば、共存できる存在。だから僕は木を選んだ。

    _自由な建築
    僕が目指したい建築の1つは深呼吸をしたくなる空間を作ること。
    どういう時に深呼吸をするだろう?家に帰った時……。自然に囲まれた時……。僕は自然の中に入ると深く深呼吸したくなる。何もかもが澄んでいて浄化された気持ちになるから。ただ毎日同じ環境にいたら、深呼吸をしなくなるかも……。最初はその環境が新鮮でも、徐々に慣れてしまう。人間はいつも変化と言う刺激を求めてしまう生き物だから。
    都会の生活と自然の生活、わがままだけど2つ欲しい。田舎に住んでいると、故郷・地元という言葉は、たまに足枷になる、色々と守らなくてはいけないものがあるから。
    もっと自由に移動できたらどんな世界が待っているのだろう。建築が動いたらこの問題は少し解決するのに……と常に考えている。初めの一歩は、多拠点居住かな。

    _共存の世界
    僕が任天堂のシムシティをやるのであれば、都市と自然を大きく2つに分け静と動の世界を作る。

    静の世界は、自然の中で心身と見つめあう、リセットをする世界。動の世界は、都市、働く事、暮らす事が集中している便利な世界。静と動の世界は整理され必要に応じて交差する。
    現代の静と動の世界は少し乱雑に交差しているように感じる。大地の端末まで入り混じった道路や電気、そして建築が存在する。曖昧な世界があり乱雑さ故、住みにくくなった環境は放置され風化している。僕はそれが嫌だ……。
    だから僕たち人間の生活に必要な場所を少し整理した世界を作りたい。

    そう、そろそろ踏み込んだ世界を元通りにする作業をしないといけない。その先には僕が描く共存の世界が待っている。