昨夜、妻とケンカした。原因はたぶん、僕が息子に向かって、
「男の子なんだから、強くいなさい」と言ってしまったことだと思う。
その時、妻は少しだけ間を置いて、「そういうの、もう古いよ」と言った。
彼女は平成の終わりに育ち、僕は昭和の終わりに生まれた。
その間には、言葉にならないすれ違いが時々、静かに横たわる。
世界が変わる速度は年々速くなっていて、
ルールも正しさも、口にするべき言葉も、すぐに更新されてしまう。
僕の中にあったものは、いくつかもう役に立たないようだった。
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そんなことを、数日前に出席したオムロン主催の会議の帰り道に考えていた。
テーマは、「自然とテクノロジーの調和」。会議は穏やかで、整っていて、でもどこか芯のある時間だった。
「『リワイルディング』って、ご存知ですか?」
休憩時間、隣にいた女性に話しかけられた。
僕が首をかしげると、彼女は笑って続けた。
「今、そのテーマの本を翻訳しているんです。自然を野生に戻すという考え方で、ヨーロッパではけっこう真剣に取り組まれてるんですよ。人間が手を入れすぎた森や川にもう一度動物を戻して、時間をかけて生態系を再生していくんです。ビーバーとか、オオヤマネコとか」
それだけ言って、彼女はコーヒーを口に運んだ。
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その夜、僕はホテルに戻ってすぐに検索を始めた。
「Rewilding」と入力すると、世界中の活動が次々と表示された。
イングランドのビーバー。絶滅したビーバーが川に戻り、ダムを作り、湿地を蘇らせた。
スコットランドのオオヤマネコ。草食動物の増えすぎを抑えて、森が回復していく。
オランダの野生馬やバイソン。人間の手で整備された土地に動物たちを放ち、自然のプロセスそのものを、もう一度立ち上げる。
どの事例も、成果が出るには10年、20年かかるという。
それでも人はやるのだ。いま壊れているものに、手を差し伸べるために。
そしてふと思った。
もし、人間にもリワイルディングがあるなら?
昭和という、少し前の時代の価値観。
手紙を書き、時間をかけて人と向き合い、沈黙を美徳とし、効率よりも空気を読む力を大事にしていた頃のこと。
ビーバーのダムが湿地をよみがえらせたように、
小さな静けさが、何かをつなぎ直すことだってあるかもしれない。
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これは、会議で隣に座った翻訳者の女性のひとことから始まった、
絶滅危惧種としての僕による、どうでもいい独り言である。