48歳になって、いくつか新しいことをはじめた。
ひとつが料理。コスメブランドOSAJIをやりながら、
趣味で、いや、本業といえるほどの腕前で料理する茂田さんの教室に通うことになった。
鍋の中で静かに煮える野菜や肉を眺めていると、時間の針がほんの少し、
遅れて進んでいるように思える。
それから、何度も挫折してきた英会話を再び始めた。
僕は少しおしゃべりだから、英語でもついついしゃべりすぎてしまう。
言葉の意味よりも先に、声のリズムが転がり出ていく。今回はなぜか楽しい。
さらに、メンタルトレーニングも受けているし、
SANUの福島弦の影響を受けて毎日腕立てもしている。彼は20回だが僕は30回。
こういう小さな積み重ねが、じつは一番確かなものなのかもしれない。
年齢を重ねると、だんだん物事に慣れてしまう。
新しくはじめた時はすべてが新鮮なのに、すぐに当たり前になっていく。
僕の仕事はクリエイティブな仕事だ。感覚が鈍れば、そこで終わり。
慣れに支配されれば、純粋なものが見えなくなる。
じつは、料理教室や英会話は冬から、腕立ては1年前から続けていた。
僕は2歳になる息子と2人でニュージーランドに行く。
クイーンズタウンという町で、1年ほど暮らすつもりだ。
息子は「ワンワン」しか話せず、僕の英語は小学生レベル。
知り合いもほとんどいない土地で、僕らは小さな冒険を始める。
妻はきっと淋しがる。
でも彼女は今、仕事に夢中で、毎日その波と格闘している。
だから僕は彼女を応援しながら、息子を自然の中に連れ出す。
戦う場所は違うけれど、それぞれに意味がある挑戦だと思った。
そう話したら、妻の開口一番は、「現地妻がいるんでしょ?」だった。
僕は呆気にとられた。寂しいと言われることは想定していたが「現地妻」とは……。
久しぶりに聞いた言葉だった。ここに誓っておく。そんなものは、いない。
50歳のカウントダウンが始まっている。だから僕らは旅に出る。
ニュージーランドの自然を楽しみ、その中で暮らす意味をもう一度、身体で感じる。
鈍っていた感性を取り戻し、そして最高のクリエイティブを生み出すために。
ユニークで不確かで、でもどこかで確かな人生を、久しぶりに、センス・オブ・ワンダーを探しに行く。
たぶん、買い物の仕方もろくにわからない僕らに、
隣のおばちゃんがクッキーを分けてくれるだけで泣けてしまうだろう。
そんな小さな出来事が、きっと新しい感覚を呼び覚ます。